イスケ

オッペンハイマーのイスケのネタバレレビュー・内容・結末

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

ノーラン、原爆の父の伝記を撮るってよ。

そう聞いた時、さすがに今の時代に原爆を生み出したことを讃えるアメリカ万歳な作品を創作するとまでは思わなかったものの、実際に鑑賞してみると、想像もしなかった視点で描かれていて驚いた。実に繊細な心の機微の物語なんだ。

僕が作品の肝だと感じたのは、オッペンハイマーとストローズの対比構造そのもの。
特にそれぞれが紆余曲折の後に、どこに辿り着いたのかが重要であり、その結果を通して核拡散後の世界を生きる僕らへの教訓を投げかけているのだと感じました。

ストローズは商務長官の任命の是非を問う公聴会で、まさかの非承認という結果に終わります。
水爆の父・テラーも順調にストローズを支持し、彼の有利に進むかと思われた流れを変えたのが、デヴィッド・L・ヒルの発言という驚きの展開。

彼はかつてシラードの嘆願書へのサインをオッペンハイマーに無下に拒否されたわけで、言わば対立する側にあった人ですよね。その彼がストローズの方を非難し始めたわけです。

これはなんでだろうと考えた時に、核兵器を生み出してしまった後のオッペンハイマーの行動には誠実さがあり、その姿を科学者の多くは支持したのだと思うのです。

そのことを象徴的に表していたのが、冒頭とラストで描かれるアインシュタインとの会話のシーン。
ストローズが、二人の会話と態度に不安を募らせた結果、私怨に走った一方で、
その会話の内容は、成し遂げた偉業とそれに伴う責任の話であったとラストで明かされる。(ここでオッペンハイマーがアインシュタインを朦朧とさせる言葉を吐くわけだけど、そのことは後述)

この違いは、自分のことを中心に考えるのか、世界全体のことを考えられるのかというところに直接繋がってくるのではないでしょうか。

確かにオッペンハイマーが作り出したモンスターは罪深いです。科学者としての強い興味や承認欲求などもあったでしょう。
でも一部を除く科学者たちが目指していた到達点は、抑止力となることであのヒトラーを止めることだったわけで、その先は彼らが望まぬ方向に進んでしまったのが事実です。
トルーマン大統領のように「原爆を落とす責任は私が背負うものだ(=お前みたいな雑魚が責任なんて持てると思うな)」と、さも誇らしげに言ってのける人間とオッペンハイマーでは、そもそもタイプが異なるのは明らか。
トルーマンの言う責任とは権力と同化しており、オッペンハイマーや科学者たちの考えるそれとは異なるわけです。

ノーランは本作を通じて、必要以上にオッペンハイマーを英雄視することはしていません。
しかし、作ってしまった兵器に対しての責任の取り方については、(マッチポンプを承知の上で)彼に見倣うべき点を見出しているように感じましたし、それが本作のメッセージとしての最たるところなのだと思いましたね。

大変な過ちを犯してしまったことに気づいたのならば、その時点から責任をもって取り返そうと行動するべきだと。
そして、我々も過ちを叩くだけではなく、それを踏まえて今どのような行動を取っているのかを見極めるべきだと。

現代では、核兵器が拡散した危うい世界線に生きている事実は変えられないのだから、正しい人を選び続けることが我々の責任なんですよね。
超絶平たく言えば、ノーランは「政治に興味を持ち続けろ」と伝えようとしている気がします。


まぁ、劇中で描かれているオッペンハイマーは人間として未成熟な部分がたくさんあるんですよ。特にストローズに対する不遜な態度はねぇ…。
オッペンハイマーがストローズと初めて会った際の態度が、皮肉にもアカデミー賞のロバート・ダウニー・Jrと重なるというw (あの件は人種差別というより俳優として格下に見ている潜在意識によるものだという印象)

ストローズが公聴会で商務長官への昇進を否認された後に、激しく怒りながら「卑しい靴売り」というオッペンハイマーと初めて顔を合わせた際に彼に言われた言葉を、自らの口から出したことには哀しささえ覚えましたよ。あぁ…あの時の言葉を今の今まで引きずってたんだなと。

でも、原爆は個人レベルの話ではありません。大局を見る時に「良い人であるかどうか」は関係ないんです。
私怨に引きずられる人間は、いざという時に自分のための決断をするのは間違いないでしょう。
そういった意味では、オッペンハイマーの不遜な態度は、壮大なリトマス紙だったのかもしれません。


アインシュタインとの会話に話を戻します。
オッペンハイマーはラストシーンで、「世界を滅ぼすことに成功した」というニュアンスの一言を発しました。
この一言にアインシュタインは怒ったのか朦朧としたのか、とにかく意識が吹っ飛んでしまって、ストローズを無視することになるわけです。

このオッペンハイマーの言葉の意味って何なのでしょうか。
この会話は戦後から数年後に行われたもので、聴聞会よりは前の時系列ですから、まだ原爆を作ってしまった強い罪悪感に苛まれているど真ん中だったがゆえ、自暴自棄な気持ちもあって飛び出した自分への皮肉かなと捉えました。

アインシュタインとしては、もっとしおらしい反省の弁を聞きたかったのだと思います。
それでも、オッペンハイマーとしては世界よりも自分をぶっ壊してしまいたいほどに自責の念でいっぱいだったのではないかな。

「世界を滅ぼせる状態を作ってしまった」

このことにクラクラするほど大きな責任と地獄のような罪悪感を感じることができる人間だったからこそ、彼は核軍縮の思想を強めることができたと言えるでしょう。

この会話よりも後に開かれる聴聞会では、これまで関わってきた多くの人が、発言や立ち位置に苦慮しながらもオッペンハイマーに心を寄せた証言や態度を示しました。マット・デイモン演じるグローヴスとの目でのやりとりはちょっと泣けましたね。
彼らの言動は、オッペンハイマーが原爆を作ってしまった責任を取るべく誠実に核軍縮の立場で行動を続けていたことへの敬意の表れのような気がするんですよ。

時を経て、アインシュタインが「君のためではない」と予言したフェルミ賞を受賞する際に、テラーの握手を拒否したキティの態度には溜飲が下がりました。


本作を通して考えてみると、原爆を生み出した科学者を責めるのは難しいなぁというのが率直な気持ち。
今の世界の状況を作り上げたのは作った者ではなく、常に権力を持ちたい者たちの欲求ですからね。

水たまりに降り注ぐ雨が作り出す波紋のように、あるいは原爆の仕組みそのもののように連鎖を繰り返しながら、原爆は水爆へと進化し、それに負けないように抑止という名のもと核を保有する国が増えていく。これが僕らが生きている現実の世界です。


とにかく役者が豪華すぎる作品だったけれど、トルーマン大統領役のゲイリー・オールドマンの演技がまた凄い。

チャーチルやマンクを演じている人だし、憑依芸をやったら右に出る者はいないかもしれませんね。
イスケ

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