このレビューはネタバレを含みます
もし日本でリメイクするなら、夫の役は滝藤さんだなぁ。
シュヴァンクマイエル節がたまらない作品になってます。
テイストは1970年前後チック。
「いいもの(切り株)見つけてきたぞ」
「にゃー!!!」
これにはさすがに笑うww
いくら可愛いものであったとしてもストップモーションってどこか不気味だなぁといつも思ってたんですよ。
そこにこれまた絶妙に不気味な「切り株」と掛け算されるわけですからそりゃ不気味。
内容どうこうとか考察以前に、この気持ち悪さを愛せればもう十分じゃないか。
食事シーンはとにかく汚い。
露骨に汚く描いているわけではなくナチュラルに汚くて不味そう。
逆にオチークが食べる対象が、割とイケすかない奴だったりして「もっとやれ!」とか思えたりするのよねw
猫とか郵便屋さんは可哀想だったけど、オチークは無自覚なままに、自分に向けられた憎しみや無関心や度を超えた溺愛などという人間の好ましくない概念をムシャムシャ食べながら肥大しているようにも見えた。
「お前らが豚や牛を食ってるのもこういうことなんだぞ」という直接的な意味もあるんだろう。
そして、隣の娘が最高すぎる。
純粋なものを邪悪に描いているような存在。
いや、純粋さと邪悪さの狭間にある存在と言った方が正しいのかな。
性的なことへの興味が芽生えてくる年頃でもあるから、それは子供と大人の間と言えるかもしれない。
やっぱり彼女の年頃的に、性的視線の気持ち悪さに敏感になり始める時期でもあると思うんですよね。
その感覚が彼女には、変態ジジイのチャックから伸びる手としてイメージされていたんでしょう。
隣の娘にはさらに母性も生まれる。
しかし、彼女の振る舞いが面白くて、オチークの母は我が子を溺愛するがゆえに人を食っても許してしまうのに対し、隣の娘はオチークに手を洗わせるという躾を施すんだw
やばい、この子が一番マトモ?
いや、オチークの食材候補として自分の両親までエントリーさせる鬼畜やぞw
御伽話を妄信するあまり、どうせ最終的には管理人のクワによって腹から出てくるし良いでしょとでも思ってるのか。
こう考えていくと彼女は物語の中ではメタ的な存在なのかもしれないな。あぁ、掴めそうで掴めなくて本当に面白い。好き。
「子供らを被害者に、加害者にもせずに」
そんな風にミスチルが歌っていたけれど、まさにグルート並に強くなりそうな暴れん坊とどう向き合っていくのが正しいのか。
奇形や加害性を持つ望まれない子供には手をかけていいのか。
老いた人間は社会の損失ではないから消してもいいのか。
そんな周囲を気にすることなく無関心でいいのか。
あまりに全部盛りなので、メッセージを絞るのは難儀。
どこまで許容できるのか
どこまで許容していいのか
多様な社会の中で、自分の身近に起こったことへの許容について考えるキッカケになりそうな物語であることは確かだな。
……と、色々と語りつつも、
僕はこの作品をシンプルにダークコメディとして好いてる気がする。