すずき

オッペンハイマーのすずきのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
3.3
1959年、原子力委員会委員長のストローズは議会で公聴会を受けていた。
議題のメインは、核開発を巡って彼と敵対したオッペンハイマー博士との関係。
博士は54年に共産主義者との疑いをかけられ、政府から追放された人物だった。
しかし彼は、第二次大戦では原子爆弾を開発したアメリカの英雄であった。
彼は如何にして原子爆弾を生み出し、そして戦後に追放の憂き目に遭ったのか。
始まりは博士の学生時代に遡る…

「原爆の父」オッペンハイマー博士の半生を描いたドラマ。
原爆を扱うテーマの重さから、これまでユニバーサル作品を多く配給した大手の東宝東和が二の足を踏んで日和り、結局ビターズエンドからの配給。
公開日は遅れてしまったが、こうして劇場で見られるのはありがたい!

さて、本作は数多くの実在の登場人物と歴史上の事件を扱った、難解で「予習必須」な作品と言われていた。
私は、映画とはエンタメで勉強ではないので、予習しないと楽しめない作品なんてNO!という考えなので、本作も予習はほとんどせずに鑑賞。
事前知識が無いと何が分かりにくいのか、身をもって体験してみた。

この作品の1番分かりにくい部分、それはロバート・ダウニーJr.演じるストローズの公聴会パートだ。
この作品は、主に
①1925年〜1947年、オッペンハイマーの半生
②1954年、オッペンハイマーへの聴聞会
③1959年、ストローズへの公聴会
の3つの時代のパートに分かれ、それらが時系列順を無視して語られる。
①はオッペンハイマーの成功と苦悩を描き、単純で分かりやすい。
だが、②と③はどちらも政府による審問会という似たようなシチュエーションで、非常にややこしい。
特に③は、公聴会の目的が何の為に行われているのかほとんど説明が無く、自分の解釈が合っているのか常に不安を感じながら見てしまうパートだ。
流石にノーランも、②の審問会と混合されるのを恐れてか、③のみ全編モノクロ映像、という演出でビジュアルに変化をつけたのだろう。
しかし、だったら「1959年」とかテロップを入れて、分かりやすい作りにすればいいのではなかろうか。
映像以外で説明する事は、ノーランの美意識に反するのだろうけどさ、「TENET」といい本作といい、難解に作り上げる事への手段と目的が混同しているようにも感じるのだ、最近のノーラン作品には。
「TENET」ほどではないが、本作も「策士、策に溺れかけ」状態であるような気がした。
でも、ノーラン作品ファンにとっては、そういう所が魅力なんだろうなぁ。

知の力によって英雄となった学者が、後年に社会全体から「誤った思想」との烙印を押され糾弾、というストーリーは、「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」のアラン・チューリングを彷彿させる。
しかし、オッペンハイマー博士は原爆を発明した科学者というより、計画を取りまとめたチームリーダーという印象。

オッペンハイマー博士を始め、原爆開発計画に参加した人達は、悪人とも善人とも言えない、つまりは普通の人のような描かれ方をしているように感じた。
普通の人だから、世界を良くしたいと行動しても、誤った道を選んでしまう事もある。
いや、原爆の使用についてはともかく、開発した事については一概に誤りだったとは言い切れないが、オッペンハイマー本人はそれを作ってしまった後に恐怖を覚え、後悔と自責の念に駆られてしまった。

劇中では、広島・長崎に落とされた原爆の威力とその惨状が描かれる事はない。
だがパーティのスピーチに湧く観衆の喧騒を悲鳴に、足音を爆音に、まとわりつく紙屑を焼け爛れた皮膚に、飲み過ぎの嘔吐者を放射線被爆者に見立てた演出が巧みだった。

原作小説のタイトルは「アメリカのプロメテウス」。
悪意からではなく善性によるものであっても、原子力という火を人類に与えてしまった罪に苦しむオッペンハイマーはまさにプロメテウス。
小説のタイトルが内容の全てを表している、まさに名タイトルだと思う。映画は原題も「オッペンハイマー」だけど…

あと主役のオッペンハイマー以外で印象に残ったのが、やはり③パートの主役とも言えるストローズ。
ダウニーJr.はやはり、こういう食えない輩を演じさせるとハマり、アカデミー助演男優賞も納得。
ストローズは劇中、あんまり善人として描かれず、オッペンハイマーと敵対する作品の悪役と言える人物。
しかし、パンフレットのダウニーJr.のコメントを信じるならば、彼もまた、自分の行動で世界が良くなると信じ、善意によって行動していた人物だったそうだ。
彼も、オッペンハイマーと表裏一体どころか、道が違うだけの同じ人間だったのだろう。