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オッペンハイマーのEeeのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
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この映画の制作が公になってからすぐに読んだ本がある。

藤永茂 著「ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者」という、日本の物理学者がオッペンハイマーの記録をもとに回顧録のような形で彼の人生を綴った本で、感情的な部分は殆ど無く、現存する記録と中立な視点から書かれたとても良い評伝だった。物理学の細かい話にはわかりやすい図解も入っている。周囲の人物像もよくわかる。この本を事前に読んでいたのは大正解だった。
(原作本は上中下としっかり3冊あってハードル高めだけどこの本は1冊にまとまってますので!是非!)

そもそも私は広島出身で、記憶も朧げな小学校低学年くらいから幾度となく(広島の小学生は学校行事で強制的に行かされる)原爆資料館に訪れ、原爆の日には夏休み中でも登校日で黙祷を捧げ、おそらく日本でトップクラスの反核教育を受けてきた。それなのに恥ずべきはこれまでオッペンハイマー博士の名前はほぼ知らなかったどころか、その本を読むまで原爆と水爆の違いすらちゃんと理解していなかった。
でも本当に何も分からず観ると何も分からないまま終わる。こういうインテリハラスメントはノーランぽいが、結構嫌味な感じもする。こんなことも分からねえやつは阿呆だ、で終わっちゃう感じの。

日本の、しかも広島の人間がこれなのだから、普通のアメリカ人はこの映画を観てどこまで理解しているのだろうか?(だからこそ例の悪しきピンクミームが誕生するのだろうが)

ただまあ何をどう捉えても反戦映画だし日本人だからこそ実際に観て考えるべき作品で、この映画の上映をここまで遅らせた理由は一生わからないし根に持つ。ジャッジするのは私達であって、謎の“配慮”のために大きな力によって問答無用で規制されようとしていた事実が不自然で怖かった。今更公開されたけど、あれは一体何だったんだろう。

【作品について】

オッペンハイマーという人物について文献を辿ると、飛び抜けて頭は良いが優柔不断で翻弄されやすく何だかハッキリしない、アメリカではだいぶ嫌われそうなナヨナヨインテリ人間が少なからず浮かび上がる。
劇中の人物像の描かれ方はまさにこの通りで、周囲は嘘のつけない彼を信用し同情する者と苛つきながらも利用して貶める者とで二分される。周りの人間は思ってることをペラペラ捲し立てるのに対し、決まってキリアン演じるオッピーはただ目を見開いてひたすら黙りこくる。叱られた子供みたいに。

ノーランの描き方で気に食わなかったのは、学生時代のオッピーの表現。なんだか物理PTSDみたいな描かれ方だったが、実際の彼は名だたる名門校をハシゴした大学生活をだいぶ謳歌していたはず。実際精神的に不安定な時期であったことも事実ではあろうが、寧ろアカデミックで知的探究心を甘やかしてきたノリで想像力を欠きトリニティ実験まで漕ぎ着けてしまったことこそが彼の愚かさだと思っている。

何処かでこの映画はノーラン版の「風立ちぬ」だと言っている人をちらほら見かけた。かなり言い得て妙だと思う。
自分の才能だけを盲信して、美しい作品だけを追い求めた結果、気づいたら大きな犠牲が生まれている。後悔しても遅い。技術を殺戮に使う戦争や国家がこそ罪なのか、それともそれを拒まなかった技術者に罪があるのか。

- オッペンハイマーは死神なのか?

彼の何十年も前にアインシュタインが生んだ相対性理論から、量子力学の研究が爆発的に進歩した時代。物理学者の春でもあった時代。ナチスの脅威と終わらぬ戦争のもと、ユダヤ人として彼に選択肢はあったのだろうか。ロスアラモスで軍服を着こむオッピーが嗜められるシーンがある。彼はおそらく物理学以外の事象に対する関心が欠如している。それは周囲の女性たちとの関係にも現れる。過ぎてから、失ってから気づいて自分の誤ちを責め啜り泣くその姿は確かに愚かだ。

前述の本のタイトルにもある“愚者としての科学者”という言葉の意味が、映画を観てからよく分かった。

早熟な天才を大学という楽園から秘密の殺人兵器開発所に連れてきた戦争の代償は大き過ぎた。もちろん彼にとってロスアラモスで築き上げた夢の科学者オールスターズ王国こそが一時の楽園であっただろうが、若きオッピーの心の拠り所であった美しいロスアラモスを歪めてしまったことには違いない。ホワイトハウスで“ロスアラモスを先住民に還す“と口走ったシーンがとても印象的だった。

この映画のハイライトは間違いなく原爆投下後のスピーチシーンだろう。劇中日本の惨状の再現や映像が克明に映ることがないのは、当時のオッペンハイマーが投下直後に与えられた情報量とおそらく変わらない。周囲の賞賛する顔が時折原爆で歪められた人々の顔に重なる描写、歓声が断末魔の悲鳴に聞こえる描写はたまらなく恐ろしかった。同時に悔しさややるせなさに似た感覚で思わず涙が溢れた。怖いよ、人間。戦争。

【演者について】

主演のキリアンの躍進劇には、ここ最近幾度となく泣かされている。素晴らしい俳優で、彼の人間性が滲み出る立ち居振る舞いや“peace makers“に捧ぐ受賞スピーチはこの映画の立場にも影響したと思う。ナイーブに揺れる青い瞳がひたすらに美しかった。

対して助演男優賞を受賞したRDJは正直ピンと来なかった。正直キリアン以外の全ての役者はただ与えられた役を淡々と“演じて”いただけに見えた。もはや監督自身キリアンの1人劇にしか興味無かったのでは?とまで思った。
オッペンハイマーにご飯食べさせたいだけの平和主義者ラビは唯一良かった。

生々しいラブシーンを避けるイメージのあったノーランが、フローレンスピュー様演じるジーンとの絡みをあんな雑に見せるのにも驚いた。オッピーの人間味を強調するため?あれってなんの意味があるの?教えて有識者。2人の裸の無駄遣いすぎる。
ノーランぜったいラブシーン興味ないよね!?

とはいえ争奪戦に辟易していたグランドシネマサンシャイン池袋のIMAXも公開から数日にして血眼で席を押さえることに成功、初めてプレミアムシートに課金。ほぼ樋口一葉を合計課金。ふかふかのソファに埋もれながら歴史にぶち込まれる感じがして良かった。
Ludwig Göranssonの生み出す圧倒的な音と緊迫感はIMAXで堪能したので、次はドルビーで映像美と細かい描写を噛み砕いていこうかな。この乱文もまた見直します。

悲願のオスカーを手にしたノーランの今後は如何に。
なんかまたインセプションやTENETみたいなコテコテアクション超大作を撮ってほしいなあ。
Eee

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