YasujiOshiba

カッコーの巣の上でのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

カッコーの巣の上で(1975年製作の映画)
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DVDのお相伴。以下備忘のために。

 これは僕が最初に見た監禁病棟(ウォード)もので、ロボトミー手術や電気ショックなんてのを知ったのもこの映画。

 ケン・キージーの原作は1962年原作で、ちょうどそのころはアーヴィング・ゴッフマンなんかの『アサイラム』(1961年、邦訳1984年)なんかが出版されていた。

 その背後にあるのは、おそらくは第2次世界大戦。いわゆるPTSDという言葉がまだなかったころだが、この時期、アメリカでは精神病院の入院患者数が急速に増加し1955年にピークに達する。つまり精神病院という存在が、患者数の増加によって顕在化したのだ。それ以降、精神病院への入院というものに対する疑問や批判が生まれてくるというわけで、ゴッフマンの『アサイラム』やケン・キージーの『カッコーの巣の上をある男が飛んでいった』(「カッコーの巣」とは「精神病院」のこと)のような著作には、こういう
「反精神医学」運動の広がりがある。

 映画化は1975年だから、少しばかり時間がかかっている。たしかイタリアでバザーリャ法ができたのが1978年だから、『カッコーの巣の上で』は、反精神医学の運動と全面的収容施設(totalinstitution)への批判が、少しずつ社会に受け入れられ始めていた頃だと言ってよいのかもしれない。

 当時の日本では、たぶん反体制映画ととられてたような気がするけど、定かじゃない。フレッチャー演じるラチェッド婦長が、ただただ憎ったらしかった記憶があるのだけど、見直してみるとけっこう可愛らしいところがある。今回はこのラチェッド婦長に同情してしまった。あの時代の女性としては、なかなか頑張ってるほうではなかろうか。

 なんといっても、まだ向精神薬のなかった時代だから、科学的であろうとする精神医療は、平和的で民主主義的なグループディスカッションの背後で、科学的な方法としての拘束や電気ショック、そして最後にはロボトミー手術に訴えるのがあたりまえだった。そして、これによって特定の生の全面的な管理を行う場所が精神病院であり、だからこそ「全制的施設 (total institution)」(アーヴィング・ゴッフマン)と呼ばれていたわけだ。

 その後、映画はこの「トータルインスティュート」を、ひとつのジャンル映画として使い始めるのだけど、幸か不幸か、かつてそういう場所があったといえば、なかなかのサスペンスを生み出せてしまう。

 けれどこの映画は、ニューシネマに特有のピカレスクロマンなんだよな。ニコルソンが呑んだくれて、ビリーに女をあてがって、逃げれば良いのに、そのまま酔いつぶれてしまうところ。あのニコルソンのなんともいえない表情な長回しが、なんとも最高だったな。

 そしてラストのジャック・ニーチェの音楽。久しぶりに聞いたけど、やっぱり最高だったな。

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2022/9/25 追記
ルイーズ・フレッチャーの訃報。9/23(現地時間)フランスの自宅で亡くなったという。88歳。両親が聾唖者、娘の彼女がコーダだったことを今回初めて知る。ああそういうことだったのかと腑に落ちたところがある。

その代表作を3年ほど前に見直したとき、ぼくはこう書いた。「フレッチャー演じるラチェッド婦長が、ただただ憎ったらしかった記憶があるのだけど、見直してみるとけっこう可愛らしいところがある」。

そうか、その「可愛らしさ」の背後にはあったものが見えてような気がした。だから、助演女優賞のスピーチでは「憎んでくれてありがとう」と笑顔で話していたのだ。そして、そのあとの手話での両親へのメッセージが泣かせる。ああそういうことだったのか.......

合掌。
YasujiOshiba

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