この監督は「会話」を「音楽」のように機能させる。
言葉と言葉がときに快く、ときに悶えながら、発せられ、連なり、流れて、ぶつかって、進んでゆく。まーさに音楽的な心地よさ。
しかしそんな「言葉たち」は、奔>>続きを読む
マイルドな語り口のタルコフスキーって感じがする。というのも、映画にしては少々文学的すぎる台詞の氾濫と、独自の静謐さを湛えたモノクロームの画面、それらが絡まり合って混ざり合ってつづれ織られていく様子が「>>続きを読む
この世の中に存在する無数の「物質的仕切り」の中でも、最も「半仕切り的」と言えるであろう「マジックミラー」は、何ともいえず不気味というか、神秘的というか、はたまた真実的というか……、とにかく微妙な感覚を>>続きを読む
現代アートハウス入門というイベントで鑑賞。
夫婦、男と女を結ぶ糸は、微妙な距離感を自覚して、伸びたり縮んだり波打ったり、簡単にほどけてしまいそうだけど、思ったより強く繋がれていて、その「糸」の繊細な揺>>続きを読む
この映画のざらっとした煙たい灰色の画面から伝染してくるのは、誰しも心の中に秘めているであろう「どこか見知らぬ荒涼とした土地をただあてもなく彷徨ってみたい」という退廃的な心地よさを湛えた願望であって、そ>>続きを読む
現代アートハウス入門というイベントで鑑賞。
私たちが共同的に幻想する「真実」という概念は、重層的・多面体的な構造を持ってゆらゆらと浮かんでいる。いま光が「真実」を照らしつける。まるで多面体のような「真>>続きを読む
現代アートハウス入門というイベントで鑑賞。
現代において、「俗っぽいもの」は「聖っぽいもの」よりもシリアスであるにもかかわらず、いまだに私たちは共同的な幻想として、「聖」は「俗」より強い(はずだ!)と>>続きを読む
現代アートハウス入門というイベントで鑑賞。
どこそこに「生」を根付かせてうごめいている実際の人間たちの瞬間瞬間の前にカメラを差し出したからといって、彼らの「魂」から漏れ出る微かなまでの「生」への予感を>>続きを読む
現代アートハウス入門というイベントで鑑賞。
確かに脚本は凡庸かもしれない。が、それ以上に、めくるめく異国情緒を湛えたアンデスの風景を映し続ける画面が終始、透き通っていた。
現代アートハウス入門というイベントで鑑賞。
やさしい眼差しで冷たいものを見る。柔らかな棘が僕の瞳を刺す。貫かれた余韻は温かく、ちょっと虚しい。
現代アートハウス入門というイベントで鑑賞。
「映画」という膜の存在を敏感に自覚しながら、「ドキュメンタリー」と「フィクション」の危うい境界の線上を、颯爽と駆けていくバイクの二人。揺れる花のピンクが強く>>続きを読む
火の玉のように駆け回り転がり落ちていく、ある男の堕落の物語。
僕は常々「映画は絵画より音楽に近い」と言っているのだけれど、「グッドフェローズ」ほど音楽的な映画を他に探すのは、難しいんじゃないかな?
例>>続きを読む
とにかく楽しませてくれる映画で、しかしスコセッシが言うところの「テーマパーク映画」などでは決してなく、隙のないショット、なめらかなカメラワーク、疾走するカット割り、裏切りの脚本・・・、等の様々な映画ら>>続きを読む
箱庭的世界観の中で繰り広げられるサイケ・トリップ。妄想から溶け出す夢の女の肖像が宙を舞ってキスをする。チュッ。しかし二人を引き離すかのように立ち昇ってくる謎の無機の壁。めくるめく逃避行の背景にしがみつ>>続きを読む
映画の「おいしさ」とは、「面白い動き」である。それは演者の動きはもちろん、カメラワークの動き、カット割りのリズム、ストーリーの流れ、音楽の波打ち・・・、全ては動いているのだ。それもそのはず、映画は英語>>続きを読む
コンサート映画っていうのは劇映画と違って「物語」が無いので、その代わりに、「音楽」が物語・脚本の役目を果たすものだと思う。
しかし、この映画は肝心の「音楽」演奏中に、ナレーションや解説音声などの「音楽>>続きを読む
車とともに、ゆっくりと、着実に、流れてゆくものは何なのだろう?
例えば、言葉。会話と沈黙の狭間に生み落とされた言葉たちは、感覚の裏側を転がって、車窓に映る街並みとともに、ゆっくりと流れてゆく。
そして>>続きを読む
何気ない会話とそっと添えるようなカメラワークだからこそ、「何か本質的なもの」が散っていってしまうことなく、ゆっくりとしかし着実に、観客の体の中へ染み込んでいき、次第に心地よくなっていくのだろう。
そし>>続きを読む
灰色でぎこちない空気を纏った17歳の少女たちの「存在」は、不安定に揺れている。彼女たちがバスやら電車やらを使って移動するだけで、たとえ物語の上では何も起こっていなくても、そこにいる彼女たちの存在は、決>>続きを読む
スクリーン上に揺らめいている銀色の光が、「この映画は傑作だ」と切実に訴えてくる。
たとえばこの映画から、なにか現実的な教訓・哲学を引き出すことはほとんど意味を持たないように思う。「こういう性倒錯の人って〇〇だよねー」とか「肉と鋼のクラッシュが生むシンフォニーは私たちにとって・・・」>>続きを読む
うん、シュルレアリスムだと思うよ、この映画。
シュルレアリスムって言っても、それを文学や映画などの「物語」「時間芸術」でやろうとすると、やはり「線的な」シュルレアリスムと「円的な」シュルレアリスムに分>>続きを読む
この映画を観たのは、かれこれ一か月以上前。
タイムスリップしたかのような昭和レトロな映画館のへたれたシートの黴臭い匂いと共に、この映画特有の緑がかった画面のひりひりするテクスチャーが、記憶の隅っこにし>>続きを読む
トーキングヘッズファンでストップメイキングセンスファンの僕は、もちろん期待大大大で劇場に駆けつけた。
結果、想像以上に素晴らしかった。もはやストップメイキングセンスに肉薄するレベル。よくありがちな、た>>続きを読む
極端なものってなんかよく分からんままグイっと惹かれるよね。
そういう「極端」を赤色渦巻く濃密「性」世界でぐるぐるコトコト煮詰めて映画にしたって感じ。ただやっぱ軽薄さは拭いきれないかな。(観客と共に予期>>続きを読む
映画や文学で「社会問題」を描くのは難しい。それは社会問題っていうのが元来リアルで具体的な性質を帯びているからであって、それを「物語」で描こうとすると、どうしても直接的というか凝り固まったイマジネーショ>>続きを読む
自由の向こう側は不自由だった。
人間社会っていうのはまず間違えなく「不自由」に始まって「不自由」で終わるものだ。
その「不自由」の裂け目にときどき「自由」が顔を出すけど、もちろんすぐに引っ込んでしまっ>>続きを読む
とにかくアレサ・フランクリンが凄すぎる。音楽の奇跡が炸裂した二夜の記録。
映画として考えると、宗教的にコンセプチュアルなコンサートであることが、結果的にこの映画の筋を生み出し、緊迫感をもって引き締める>>続きを読む
まず、音楽が流れない。感情を煽ってくる説明的な演出がない。まるで非現実の裂け目から雪崩れてきたような「不安=ビデオテープ」に侵され混乱する家族をドライに映し続ける画面が終始、背筋が凍るほど恐ろしい。>>続きを読む
映画的に熱がこもるシーンは多々あったが、そういうシーンも「物語」という連なりの中ではどこか断片的だ。うん、やはり「物語」の芯を貫く熱い血液が脈打ちながらも紆余曲折散っていってしまって、結局核心に達する>>続きを読む
ひんやりと冷たい感覚。鉛に触れているような。
「映画になっている空間」を造形するのがうまいと思った。オープニングの誰も座っていない椅子の絶妙な空間配置、それから羊たちの沈黙を彷彿とさせるじめっとした気>>続きを読む
「行為」などといった確信的なものの排除と、その行為の前後に漂う「予感」や「名残」などといった曖昧なものの重視というのが、この作品に通底する主題だろう。
ストーリでいえば、二人の恋愛関係にはまるっきり確>>続きを読む
映画館の暗闇の中に浸っていたすべての時間が心地よい、そんな映画だった。この「心地のよさ」とは決して癒しとか絆とかいう優しく撫でるような類の心地のよさとは違い、どちらかというと違和感を伴う、個人的な表現>>続きを読む
キューブリックの「2001年宇宙の旅」とタルコフスキーの「鏡」をブレンドしたような感じ。
素人感のあるカメラワーク(おそらく手持ちカメラによるもの)をカット割りの多さでごまかしているような感があるが、>>続きを読む
蒸された光、空っぽの背中、血との距離。現実より生々しい非現実=映画。