Keep dancing till the end, party/life goes on.
An extraordinary experience in the fateful evening.
このレビューはネタバレを含みます
暗部に足を踏み入れ、タナトスの一部になる。見えない。咳払いが響く。
降りてくる。
これは「夢」。断片的な原形を記憶する、見つめようとする。バナナの木。
恐竜。
ドラキュラ。
瞬くひとみの彼>>続きを読む
飛行機を眺めて、観覧車に乗って、ここから浮遊したいと思う。消失点に閉じ込められ、ぼやけたガラスが橋渡しする夢幻世界の中を移動する。車、自転車、疾走。誰かを追いかけて、縦と横が交わる原点に立ち止まる。過>>続きを読む
昇降機とトロッコによる前後左右の奥行き。タナトスの象徴たる闇にこそ、光が差し、生々しい息吹が顕れる。転じてなにか超越的な美しさを抱える「地上」における静謐さ。この象徴的な二つの世界の対比は、栄華は野蛮>>続きを読む
17年後に見る「15年行方不明」の記事、2日違いのお父さんの誕生日、三月と五月は2ヶ月違い。不穏にずれ続ける数字も、「ドキュメンタリー」を介在する言葉も、フレームに捉えられる身体も、嘘にまみれていて触>>続きを読む
序盤から草木をかき分けて徐々に動物たちのすみかに寄っていく視線は、「キリストとマリア」であるバンビと母鹿、崇高な後ろ姿を見せる雄鹿を捉えて引いていく。森の動物たちのヒエラルキー、その頂点に立つ鹿の神聖>>続きを読む
ティモシーは、カメラを通じて野生動物の密猟や殺戮を行う愚かな人間たちへの警鐘を鳴らし、他の人間たちへの啓蒙を「無償で」行った。その根底にあるのは、野生動物たちは危険であり恐怖を感じる対象ではあるが、強>>続きを読む
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「それは彼だったから」「それは私だったから」そして、「お互いを見出した」、というエリオの父親のセリフを聴いて確信した。これはハイデガーの言う”underlying hiddenness”を、プラトンの>>続きを読む
レールに載ったカメラと見つめ合う序盤にて、われわれは「観ている映画」への介入を余儀なくされる。
中盤のポールとカミーユの会話シーンでは、リアルで退屈な男女のやり取り、そして剥がれ落ちるメロドラマが描か>>続きを読む
言えなかった代わりに飲み込まれる息、瞳に移ろう光の輪、思い思いに動く手や足など、「一部分」が射抜かれるショットの執拗さに驚く、しかしことばは必ずしもすべてではなく、むしろありのままの情性を物語るのは身>>続きを読む
カメラという避けられない"目線"を通じた啓蒙は、例えばレコードプレーヤーという西洋文明の利器に触れて驚くナヌーク、そして彼らの生肉食という未開文化を好奇の眼で映し出すフラハティの立ち位置に集約されるが>>続きを読む
冒頭、砂利道を踏んで行進する人々の中で、傾いたピアノに触れる男の背広が目立つ。人物紹介から最初の爆撃シーンまで、ワンカットでスムーズに見せる技に舌を巻く。そうして幕が上がった悲劇はすでに予言されている>>続きを読む
主人公は、低所得者であり、移民である少年少女たち。彼らは経済的にも社会的にも緊迫した状態に立たされている。ラスト近く、警察のガサ入れシーンは、数少ない「大人」が画面に満ちるシーンだ。露悪的なほどに高圧>>続きを読む
すっきりほっそりカーラとの切り返しで目立つデハーンのたぷたぷ顎。クリスウーの"Yes,sir."とローリング見せ場。
アメコミのヒロイズムとは一線を画す推理的なロマンチシズムに、バンド・デシネの血潮を>>続きを読む
WWII下の映画を用いたプロパガンダ政策の広汎さに驚かされる。映画の力はもちろん、時代的にも"紙"が画面に充ちていたのも面白かった。タイプライターの重量感とか、放り出されて宙に舞う原稿とか、鉛筆で書き>>続きを読む
塗り固められる嘘も、流れる涙が溶かす嘘も持ち合わせることができるのが人間で、なんだかみんなペシミスティックなようで堂々と生きていて、入り混じる善と悪は煙のように霧散する。少年の不貞腐れたまっすぐさにも>>続きを読む
木製椅子の床を擦る音、少し上がった綺麗な薬指と小指に支えられるマッチ。グラスに入れたカルピスが鳴らす残暑。タバコとイーゼルにそれぞれ向き合う横顔。一房の葡萄の、ふたつの青色。
冒頭、無情にも、遠藤を追>>続きを読む
ジュディ・ガーランド、ドナ・サマーのようなゲイアイコンたち、そしてポップアイコンとして80年代を風靡したボーイ・ジョージ。煌びやかな音楽、ダンス、酒が交錯するナイトクラブ。しかし本作でいちばんクローズ>>続きを読む
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アダルト・チルドレンとPTSDの話。
物語は最初と最後のシーンで時系列が噛み合う作りになっているのだが、よく観てみるとその噛み合いは都合のいいエンディングを期待する観客への疑似餌になっているのかもしれ>>続きを読む
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スティーヴン・キングはやはり子どもと家族の描き方が徹底している。いわゆる"理想的家族"を使わずに、登場人物各々(と家族、その周辺)が抱える不和や問題を物理的に解決する手段として、「恐怖」を使うのだ。>>続きを読む
古典的ハリウッド映画の模範的主人公たるアティカスはたしかにアメリカ的正義を表象するヒーローとして画面に君臨するが、彼の息子と娘によるまなざしが重層的にこの映画では機能する。
娘のスカウトの回顧録とし>>続きを読む
松岡茉優は天才です。初主演作ということが信じられないし、同時に初主演がこの作品というのがとても嬉しい。
鑑賞のちょっと前に綿矢りさの原作を読んだので、原作と比較しながらの感想をば。流れるように言葉を操>>続きを読む
ノワールサスペンスものとして、端正な物語進行と画面構成、控えめなセリフの数々は良かった。潔白の象徴である白の画面に充ち満ちる、闇のヴェールの作用による引きの画の強力さよ。
しかしこの手の作品にありがち>>続きを読む
二元的対立を綺麗に代表する婦長とマクマーフィ。両者の支配構造の対比もわかりやすく、なおかつ人物の円環対置に即した丁寧なカットバックとエピソードの相乗効果が興味深い。漁船による逃避行も円環の中のひとつに>>続きを読む
淡褐色の肌に光る汗粒の色気、粘り気が彼らの強さを表しているよう。
両親が来るとわかった後の"模様替え"、新開地で築き上げたアイデンティティも、結局伝統的家族を重んじる台湾人社会の厚みに塗り替えられてし>>続きを読む
襖の重層性、いいですね。
からりとした相槌も、軸がぶれない人びとの姿勢の良さも、印象的。
食べることは生きること。
電車の直線を捉えた構図でご飯2杯。
空気、に表象されるさまざまなモノと、そのすれ違いによる切ないトートロジーを軸として、たゆたう輪っかのように、エピソードが、人びとが配置されている。
人形なのに、圧倒的な存在感を魅せるペ・ドゥナをはじめ>>続きを読む
冒頭の葬式シーン、長女の幸が彼女たちの父親についてこうつぶやく。「優しくて、ダメな人だったのよ」
彼女らの世界にはもういないはずの父は、非存在故の存在感という形で皆を苦しめる。四姉妹の住む鎌倉は、家や>>続きを読む
猥雑とした空間構成、極小の対立を投げかける主張の混在。
ガラスや壁を打ち破ることにより、存在そのものから解き放たれようとする切なさ。幕開けのシンセ×黒白スタッフロール、グレーを濡らす白煙と雨しぶきがグ>>続きを読む
通常水平に描かれる時間軸が、垂直に積み重なっていく。いわばつみきのいえは、「過去」「現在」「未来」を自在に行き来できる媒体構造なのだ。深く潜れば潜るほどに蘇る記憶は、過ぎ去ったはずの事象にも居場所を与>>続きを読む
背反の返り血をあびる彼らの胸内は虚無に染まり、はたまた仁義に生きる彼らは自らの血をエートスとする。反転性に満ちた清いブロマンス。
刃物を飄々と扱う橋本愛に、「じゃあチェーンソー頑張って」と声をかける松岡茉優。