乱れる夫に別れを告げ、若くして乳癌に倒れた女流歌人(中城ふみ子)の最期。監督は田中絹代で、主演は月丘夢路。
雨の中バス停へ向かう森雅之と月丘夢路に並行移動し、おおきく旋回するカメラの動きがすばらしか>>続きを読む
夏の終わりにみた束の間の夢だったんじゃないかとすら思う。どこか寂れた観光地の雰囲気がただよう北仏の海辺、そこに暮らす「女っ気なし」男のどうしようもない孤独。
指先でそっと撫でていくような残酷なやさし>>続きを読む
これほどに終わって欲しくなかった時間は、この映画と現実の夏休みぐらいである。『トリュフォーの思春期(おこづかい)』と並びもっとも明快で健康的なヌーヴェルヴァーグ映画の一本と数えていいかもしれない。
劇>>続きを読む
外の世界のほうからなにやら事件性をおびて女だけの秘密めいた時間に迷い込んだような、リヴェット特有の世界観の延長線上だった。男は彼女たちの舞台に決して入りこめず、外部から強引にさざ波や大波をおこしてみた>>続きを読む
これはちょっとやりたい放題に過ぎる気もするが、映像はグッとくる。グッとくる場面にはやはり驟雨が降るか、川がある。特に雨が降ると、少年少女が耀きだす。ヤケクソのごとく狂気的な長回しもすごい。もう二度とこ>>続きを読む
ひとり夏の相米映画祭開催中、今度は青春映画の傑作。
幼心にとっての台風はイベントだった。地震や津波ほど絶望的でもなく、雷ほど威圧的でふいに身近にせまる恐怖もない。非常事態のほどよい緊張感にさまざまな>>続きを読む
また子ども映画をみた。まっすぐな目でハツラツと問いかける子役の田畑智子はすばらしいのひとことに尽きるし、感情と呼応するような映像、平成初期の独特な郷愁をくすぐる風景、朝方の淡い水面に祭りの火が燃えさか>>続きを読む
不自然な状況と態度から大人の偽装された厳格さや倫理の欺瞞を一瞬で見抜く子どもの目、よ〜く知っている目だった。まあそれはそれとして、大切にしたい愉快で神秘的な記憶だってたくさんあるし、美しい思い出はいつ>>続きを読む
ここに極まる美貌、ディートリッヒのつめたい仮面が融解した時の息を呑むような美しさを前には、ルビッチの巧妙な演出も、壮麗な家具や調度品も、窓硝子の向こうに流れおちる雨も、三角関係という刺激的な状況も、恋>>続きを読む
ブニュエル版とはだいぶ違う、アメリカ時代のルノワール版。おおらかでゆったりとしていて、それでいて軽やかでもある映像のさなかに下男の存在感を中心として露呈される、陽気な残酷さと純粋な暴力にすっかり感心を>>続きを読む
異様に蒼白い顔に満たされない正義の狂気を醸しながら、着々と犯罪をプロデュースする警官マックス、無邪気にもその心の闇をとらえた娼婦リリー。二人の関係性と緻密な犯罪計画に同時に狂いが生じる決定的瞬間を見逃>>続きを読む
巨大リーゼント軍団珍道中。ジャームッシュ的な居心地の良さのなかにカウリスマキのシュールな笑いのセンスが頭抜けてる。
留置場の格子にリーゼント突き刺さってる絵面いくらなんでも面白すぎるだろう。
流石に面白い。あの長回しだけで白米三杯いけるというのに。
重たそうに引き摺られるウェルズの巨躯、それをさらに画面いっぱい広げるようにして執拗に下からあおるカメラ、疲れ切って弛んだ皮膚、目元の隈、諦め>>続きを読む
海へ向かい、海を前にして立ち止まり、砂の感触を知りながら、足もとに少し波を被り、振り返って終わる。アントワーヌ・ドワネルはそのまま人生を全速力で駆け抜けたけど、あみ子はスキップでもいいから、とにかく進>>続きを読む
素晴らしき最悪な放浪者もしくは水の妖精。チャーリーが哀れみの涙でアメリカを濡らしたその翌年、ブーデュはフランスで人生に逆襲していた。
実際大迷惑どころの話ではない、この破廉恥の限りを尽くすぶち壊しが>>続きを読む
真実の愛を死によって可能にする老画家、大天使の名を持つ美青年、それを皮肉にも堕する無意識型ファムファタール、さらにパラレルに進行する禁断の愛、これらすべてが耽美な美術世界と一体化し、多弁な視線によって>>続きを読む
カスリネンかわいそうやねん…。どれだけの不幸の連続がこの冷却と戯れのうちに漂い、いかに多くの希望がそこに語られているか。冒頭の拳銃自殺の男がカスリネンに予定されていたもう一つの結末だったかもしれない。>>続きを読む
いわゆる"変な人"ばかりの群像劇だが、この閉塞的で牧歌的な日常がなぜか無性に愛おしく映る今日。
「目に映るものがどこまでも美しい」本当の生活のなかでは、他人のささいな欠点や印象など大した問題にはなら>>続きを読む
急転直下の悪夢ではない。マッチ棒一つに葉巻三つの迷信、偶然持っていた傘の暴力、包丁に暗示されるアイスピック、不調なレコード…映像全体の動きというか、愛の欺瞞を軸にまわる歯車のような不吉な流れのなかで、>>続きを読む
ヒッチコックの『めまい(1958年)』、延いてはアケルマン『囚われの女(2000年)』の男女反転版と言ってもいいんじゃないか。恋に恋する情熱に溺れ、狂い、転落していくアデル・ユゴーのすべて真実に基づく>>続きを読む
自然と戯れながら行き当たりばったりに季節ごとの仕事をして、ワインを飲みながらブルースを聴いて、恋をして、戦争の落とした陰にぼんやりと喪失感を持っていながらも、今やファンタジーですらある自由な生活を謳歌>>続きを読む
どうすればいいかどこに行けばいいかも分からない存在の不確かさに絶望を通り越してる。「明らかに世界のスピードに遅れているわたしはもう死んでいるようなものだが、それでも生きているのだ」とかすかな声で訴えか>>続きを読む
神々の荘厳なおバカ宇宙戦争を観るつもりだったんだけど、神の不在という運命に直面する戦士と人間それぞれのあれやこれやを描くおバカヴィンランド・サガだった。ゴアと対比になっているのはやはりジェーンの方。
自分の不自由な足が両親不仲の原因だと憶測する少女が、互いの愛人を連れた夫婦鉢合わせの修羅場…というわけでもない妙に平穏な別荘に乗り込み、大人の欺瞞を暴くゲームを仕掛ける。
舞台となる室内には、すでに>>続きを読む
ヴィスコンティ、ドイツ三部作の最後。『地獄に堕ちた勇者ども』ではナチス時代の嫌悪に充ちた美を、『ベニスに死す』では本物の美への驚きと喜びが老いた夢に結びつくさまを、そして最終作にあたる本作では、ワーグ>>続きを読む
中世ボヘミアの氏族間抗争、愛憎、宗教に翻弄される女の物語。おそろしいほど精巧に創りあげられた未知の世界観のなかへとすぐに呑み込まれ、知られざる過去の人間の寓話的な愚かさというよりも、ひとつの時代の意思>>続きを読む
めっちゃ良い。ゴミ収集人のオトコとスーパーをクビになったオンナの決して遅すぎない青春。愛の逃避行が始まるかと思いきや結局日常から抜け出せないが、ついに吹っ切れたさき人生にスマートに勝利する。
音楽良>>続きを読む
アメリカ的成功と快適さの夢、混乱と混迷、冷酷と裏切り、偽り、孤独を生き抜いた不器用な中年男。自慢の創造物である安っぽいナイトクラブには、常に視点がぼやけ、光っては消えるを繰り返す画面の哀愁が漂っている>>続きを読む
嘘くさいほどに絢爛な装飾が人生の虚構を露骨にわざとらしく、感傷的に物語っているかのように見えるので「こりゃ何かくる」と斜に構えていると、純粋に真正なゴスペルの一撃をお見舞いされる。それがなんであれ、み>>続きを読む
階級や社会的な常識を越えて夢の力に翻弄される登場人物たち。ギトリの独創的なべしゃり協奏曲の愉しさは言わずもがな、切り返しでインサートされる美しいジャクリーヌ・ドリュバックの音楽的な表情変化にうっとり。>>続きを読む
汎神論的な自然への畏敬でいうと、黒澤明のカタストロフのようなすこし紫がかった空の紅は、少年期に兄と観察したという大震災後の死屍累々たる地獄絵がイメージとして記憶に焼きついているものと憶測する。
こういうちょっとした、どこにでもありそうな人間関係の日常のなかに小宇宙の広がる作品も好きだ。少し切なくて、とても癒された。
※再投稿
盗んだ車で走り出し、太陽に向かっていたずらに銃口を突きつけるジャン=ポール・ベルモンド。ここでもうこの男の死は映画的に必然になっていて、おそらく本人もそれを予感している。案の定追ってきた警>>続きを読む
奇想から奇想へと、極細の偶然でリレー形式につながれるブニュエル&カリエールの夢の跡。完全に自由だと思いきやつながれていた。ゴヤの『マドリード、1808年5月3日』の着想にはじまり、現代フランスの学生暴>>続きを読む
『ノスタルジア』のような純粋な詩的イメージの土台にタルコフスキーのキリスト的寓意が強くあってとても重苦しい。が、その重苦しい狂気の正当性は、今まさに証明されようとしているのかもしれない。
「…映画で>>続きを読む
ブレッソン的な美しいアプローチで現代ビジネスの仁義なき闘争によみがえるシェイクスピア劇。毒殺!毒殺!毒殺!