「カットの切り返し。イメージの切り返し。」2人の目線を同じカメラで収められるならそんな簡単な話はないわけで。切り返しにおける見る側と見られる側。歴史におけるこちら側とあちら側。
慰めのために映画を見てるんじゃなくてむしろ現実に酷似した現実=フィクションを見せられることによって徹底的に自分が地獄に突き落とされる瞬間を経験するために映画を見ているわけで、だけどポジティブな意味でそ>>続きを読む
浴場の乱交や赤く発光する怪物などの本筋と全く関連性を見出せない無意味なシーンが最高すぎて
初めて見たのが「エレファント」なのが悪かった。「永遠の僕たち」でちゃんとがっかりしてたのでまあこんなもんだよなと。あとあのセックスの静止画的カットの連続はアラン・ロブ=グリエ?
フィックスされることのないクロースアップのカメラによって語られるドラマの危うさの連続が映すのはヒステリックな女の異常性でなはなくむしろ慈しみと愛なのでは。
自分と相手との関係を”恋人”や”友達”などの定型でラベリングしたくないというリレーションシップ・アナーキー的な態度のために痛い思いをした経験が一度や二度ではない身としてはむず痒い...が、そこが面白さ>>続きを読む
わざとなのかどうなのか編集が嫌いすぎて見てられなかった。びっくりするくらい執拗なジャンプショットの多さはモンタージュができないからか?(-1.0点)
“Portrait of a Lady on Fire”のファンメイドPodcastでゲストの一人が特筆すべきレズビアン映画として挙げていた。フロイト(時代)的な抑圧と無意識。「ぼくのエリ」や「ボーダ>>続きを読む
社会的制度から疎外された一組のレズビアンが平等を求めて生きる(「闘う」ではない気がする)物語(=実話)であるが、同時に彼女たちが求めたものが大きな括りでのマイノリティの権利ではなく個人=家族としての権>>続きを読む
いつの間にかAmazonでレンタル始まってた「去年マリエンバートで」をもう一回見よう。
最初の30分からタイトルバックまでがとにかく強烈で、なぜワンカットであの出産シーンを見せられたかの意味は明確。”私というパズル”では不適切で、原題はあくまで”Pieces of a Woman”。
たしかに一人の少年がセックスという通過儀礼を通して自分のセクシュアリティを自覚する物語であって自らの性自認を尊重することやそれに対して正直であることを祝福することの意味は大きいのだけど彼のセックスの失>>続きを読む
この後の作品をちゃんと検証しないと分からないけど、主題ではなく映像としてのベルイマンの作家性の洗練は前年の「第七の封印」と今作の間にあるのでは。
意味や音の繋がりで言葉を羅列する(=ラカンの換喩的)失語症の男の恋物語。「シルバーグローブ」に続いてかなりぶっ飛んでます。意味なんて無いし理解なんて必要ないんですよ。
あの別れ方は素晴らしいしなるほどなーと。レナ役は「ニンフォマニアック」のあの人か
「みんなと同じ、僕の人生は平凡。」なんてモノローグ、よく車のプレゼントとあの家あの家族を映しといて言えますね。ハハハ。てな感じで始まって20秒くらいでズッコケたんですが、まあその時点でこの映画の魂胆丸>>続きを読む