遠い昔話、お伽話のようでいて、めちゃくちゃ現代の話でもあるように感じてしまいました。それは人間はどこまでいってもそうなんだという、いつまでも変わらないものが描かれているからなのかもしれないです。
消>>続きを読む
社会学者の岸政彦さんが現代思想で書いていた、「本(文章)をよむという行為は、映像をみる、話をきくということよりももっと能動的で、だから得られることもある」というような言葉が頭に残っていて、それでいうと>>続きを読む
この作品の物語のすごさというものにはもちろんなのだけど、そこでずっと生活してきて、当たり前にいろいろあるひとたちを撮るということをしていたら自然とそこに写り込んでくる街、その情景のひとつひとつにも何度>>続きを読む
ふたりがかわす言葉はとてもすくないけれど、目線が絡み合いながら、距離がどんどん近くなっていて、ふたりの表情がどんどんやわらかくなっていって、そんなふたりをみているこちらもおなじような表情になってしまい>>続きを読む
私たちの普遍的なことが、1845年のアメリカ、オレゴンの荒野で起こっている、それを映像として観ました。だからいつでも今の話でもある気がしました。
ケリー・ライカート作品についてのzineを読んで一番>>続きを読む
あの体験があったから、そのことをいつまでも自分のなかで持っていて何度も思い出して、だからこれからも生きていける、というようなことを体験としてみせてくれるのはジブリ作品のぜんぶにいえることだと思います。>>続きを読む
わすれられない言葉はいくつもあったけれど、行商団の少年の「なんで」という繰り返される言葉が、森達也監督がラジオで言っていた、「(映画を観て感じた)疑問は自分で考えてほしい。それに僕は答えるべきではない>>続きを読む
「ユリイカ」のパク・チャヌク特集を読んでから再度この作品も観ました。当時の彼の地での現実に存在していたのは単純な二元論対立ではまったく無くて、もっと屈折してるしとてもいろんなもの、人たちが入りくんでい>>続きを読む
ヘジュンと同じ瞬間に私たちもソレに出会って、久しぶりにゆっくり眠って、夢なのか現実なのかわからない世界に入り込む。そこに毎朝現実の私たちのスマホから流れるのとおなじ、つい身体がびくっとなるあのアラーム>>続きを読む
ベランダで煙草を吸ってる後ろ姿と、ひとりで号泣している後ろ姿、ツアーのバスの車窓からの風景が私のなかにはくっきりと残りました。だけど普段の生活のなかでこれからまたぽつぽつと違う場面をじんわりと思い出>>続きを読む
桜が満開だったときに観た映画だけど、まだいつでも気持ちがどくどくするくらい、私にとって大切な映画になりました。
観たときはいろんな涙が次々と出てきて大変でした。本当はいつまでもエンドロールをみていたい>>続きを読む
劇中、音楽はとても少なくて(だからあのオルガンの音と、焚き火を前に歌われる女たちの歌がすごく際立って、どきどきしながら口角が思わず上がっていました)、最後のあの音楽が、脳みそと心臓にざくざく刺さりまく>>続きを読む
寝る前に観たらなんだか興奮してしまって、そこに充満していた熱にあてられて、交わされていた言葉たちがぐるぐるし続けて、なかなか寝付けなくなった土曜日の夜でした。
60年代の日本に本当にあった熱はやっぱり>>続きを読む
ずっとにやけながら観てました。映像も音楽もあつくなるものばかりで、自分ももう若くもないからこそ響きまくるような言葉にも、じんじんとしてしまう。
終わった瞬間、とても自然に拍手しそうになりました。大きな>>続きを読む
ボクシングに夢中になって、そこからあの人たちがいるあの場所にたどり着いてそこにいることが大好きになった。表情はあまり変わらないけれど恵子の目からずっとそんな気持ちが溢れてるみたいで、それだけで涙がでる>>続きを読む
物語と音楽と人間の生身の温度に溢れている世界に夢うつつに没入してたら、物語と音楽と温度をもっと求めてしまって登場人物たちみたいに、お酒を何かにつけてがぶ飲みしたくなる。(そしたらたぶん彼らと同じような>>続きを読む
自分の人生を生きてるというだけで、もしかしたら自分が誰かにとっての加害者になっているのかもしれない。
そのようなことがたぶん、とても静かにスクリーンに写されていました。山吹が冒頭からずっと読んでいる文>>続きを読む
当時漫画を読んでいた頃から、小柄な身体でぱっぱっと動きながら目ではずっと綾ちゃんをみてる宮城リョータが一番好きだったのですが、その十何年後にこんな大きなスクリーンで彼の相変わらずのかっこよすぎる躍動と>>続きを読む
観ているとどうしてもメタヴァースの世界観と繋がっているみたいに感じていました。そのなかで生きていきたいひともいるし、どうしても現実で生きたいひともいる。もしも何年後かに同じ設定でこの映画をつくったのだ>>続きを読む
誰かに自分の悩みを相談するけれどそれは誰でも良いわけじゃなくって、思い切って相談しても解決するわけではない。だけどそれを続ける、誰かと少しでもそういうものを共有したり、そこで受け取ったはっきりとしたか>>続きを読む
「シェイプ・オブ・ウォーター」を観たとき、しばらくしゃっくりがとまらないくらい大号泣して、これはなんて最高な愛の物語なんだと思いました。監督は「美女と野獣」の物語に大きな不満をずっと持っていて、それは>>続きを読む
誰かが帰ってくるのを待ってひとりでいることはあるけれど、それ以外は彼らは陸地ではいつも誰かといて、笑って話をしている。(携帯とかSNSがまだ無くって、基本的には会って話をする、ともに過ごすのが大前提の>>続きを読む
ひとりの「古い」時代の人間がいなくなった物語。だけどあのとき白人に殺されるよりは、ゴーストドッグにとっては最も良い終わりだったのかもしれない。どう終わるかがとても大切なことなのだと彼はずっと思っている>>続きを読む
映画を観るような、美術館に行くような人間に向けて、映画という形態でつくったのだと感じました。そしてたぶん誰が観ても伝わる映画で、それを自分がどの立場でみているのかも。強烈でした。。
芸術とは自分の想定>>続きを読む
帰る場所もその道すらも彼らにはもうなくて、だから何があろうと前に進み続けるしかない。爆破シーンも凄まじすぎだけど、トラックに積み込まれたニトログリセリンのただ存在しているだけの恐怖と、だんだんとトラッ>>続きを読む
仕事に行くまえに観て、めちゃくちゃ最高な気持ちでその日をサバイブ出来ました。彼らの皮肉的なジョークでいろんなことを笑い飛ばす場面に、(ちょっと客観的に黒人というものを見てる感じ)何度もぶっ飛ばされる。>>続きを読む
もうふたりの愛の物語として観ていました。何かで心に大きな穴があいてしまって、ひとりではどうしたらいいのかわからなくなってるときにその人に出会って惹かれていつでもそばにいたいと求めてしまう、全身全霊投げ>>続きを読む
こういう事件が実際にあって、それを映画化する。その製作者には明確な政治批判があるし、その作品を観た人たちはその出来事とそのときの社会を記憶するし、少しでもそのいきさつの根底にあるものを考えると思う。そ>>続きを読む
彼らは皆んなバラバラで、いい加減で寛容で、だからこそ同じ場所で集まって暮らしていけるのかもしれない。20歳の主人公が空想するようなでたらめなことが、(むしろそれよりもでたらめなことが)現実でも起こる、>>続きを読む
突拍子もないことがどんどん起こるのを観ていると、現実もたぶんそんな感じなのかもと感じられる。たとえこの先の未来を自分のなかですべて計画してたとしても、本当のところは成り行きに物事は進むし、起こることは>>続きを読む
期待しすぎていたのかもです。この作品に、良いも悪いも何も感じずに観終わった私みたいな女は、前時代的なホモソーシャルのこの世界感を素敵だと思った人たちに、「これだから女は」って言われるのかな。ちょっと時>>続きを読む