ーcoyolyー

パム&トミーのーcoyolyーのレビュー・感想・評価

パム&トミー(2022年製作のドラマ)
3.9
「キャリアを水着で過ごしてきてセクシーな写真をプレイボーイに撮らせる、そんなことをするアバズレは…この判決が言ってるのはこういうこと」「アバズレは自分の写真がどう使われようが口を出せない」「私は自分の体の使い道を決めることができない」「男には分からない」「私は何度も経験がある」
このシーン観て、これが2022年に作られ公開された意味とリリー・ジェームズがこの役を引き受けた意味が分かった。

「彼は本当の私を見てる 人として見てくれる 他の男たちは私の脚しか見てない」
これをカメラテストでしか言わせてもらえないパメラ。90年代。私もそうやって生きさせられた90年代のクソな部分。そら他人の視線、男とその男社会に過剰適応している名誉男性の視線が嫌で怖くてたまらなくてパニック障害にも引きこもりにもなりますわ。カーディガンズをBGMに病むわ。劇中でカーディガンズの『LOVEFOOL』をパリピが合唱ってああそういう時代か、と一気に同世代感というかあの時代に引き戻されたわ。ニルヴァーナとかベックとか、ああ!ああ!ってなる。

最初の方はちょっと『アイ,トーニャ』的に頭と育ちが悪そうな人しか出てこないあの感じで押し通されて辛いんですけど(『アイ,トーニャ』を彷彿とさせるなーと思ってたら監督が同じ人だった。どうりで全く同じノリなのかと膝打った)、3話の『ジェーン・フォンダ』辺りからもっと深く抉るようになってくる。パメラがジェーン・フォンダへの憧れを語るシーン、そこから一気にギアを上げてくる。パメラの物語はそこからギアを上げてくるんだけど、それとは全く別の、いつもの『アイ,トーニャ』的な物語も同時展開していてこっちはこの監督のオハコなんだろうからそれはそれで作り手が楽しそうだった。
ただそこの世界線の物語の方でランドの元妻とそのルームメイトのポルノ女優たちが語るビデオの感想がとても良いんですよね。それを性的消費するのではなく可愛い、愛がある、と評価する目線もある。ああいう視点を入れることができるのが今だ。ポルノ業界で働いている女性たちの生の声を描けるようになったのが今だ。娼婦やファム・ファタルといった役割を押し付けられた人物にはずっと声が与えられていなかった。彼女たちの生の声がやっと届けられるようになったのは実はとても画期的なことだ。これは彼女たちが初めて人間扱いされた記念碑的な作品でもある。あのビデオをそう評価する言葉はこの作品を世に出すに当たってどうしても必要なことだったし、それを誰に語らせるかというところで彼女たちを選べたのも必要なことだった。彼女たちが実在する人物なのか、そしてその人物が実在していたとして本当にその職業でこう言ったかどうかというのは現時点の私には分からないのですが、この作品ではそうしなくてはならなかったことはよく分かります。

これ、『パム&トミー』というタイトルではあるけど中身はパムvsトミーでもある。セックスビデオを撮られる方と撮る方、消費される方と消費する方、諸悪の根源はトミーなのにトミーへの恨みの流れ弾が致命傷になるパメラとかすり傷程度で「俺だって傷ついている」と大騒ぎするトミー。味方の弁護士のはずなのに対岸の火事として、他人事として傷に塩を塗る男とパメラの側にいるわけでもないのに居た堪れなくなってパメラを気遣う女。ここの描写もね、今です。今やっと撮れるようになった、撮ってお偉いさんからOKが出るようになった描写です。たったこれだけのことが何十年も描くことを許されなかった男社会を生き抜く困難さを男はまだほぼほぼ気づいてないですね。気づいてる感出してる是枝的な人物が最も無自覚に我々を傷つけますからね。トミーは分かりやすい有害な男らしさなんだけど是枝的なるものは分かりにくい有害な男らしさですからね、そらもう厄介ですわ。

90年代の事例を出してこういう動画は撮らせないようにしましょう、という啓蒙・啓発ドラマでもあるんだけど、でもまだ若いと断るの難しい子も沢山いるだろうな、と思う。その若さや自信のなさにつけ込む男や大人が沢山いるのも知っているから、図々しくなったおばちゃんたちは立ち上がらなければならない。リリー・ジェームズが身体張って立ち上がったのもそういうことなんだろうし。めっちゃノリノリでキレッキレなリリー・ジェームズがどうしてこんなに身体張ったか、というのは後半で分かってくるからそこまで皆辿り着いて欲しいなと思う。まあでも裸は明らかに特殊メイクで胸作ってるの分かるからいつかの紅白のボディスーツ的なものにしか見えなかったりはします。あそこまでガッツリ作り込むと逆にエロくないというか。むしろ『シンデレラ』のドレスの胸元の方がよっぽどいやらしいですね。ああいう胸の見せ方必要?とちょっと嫌な気分になるのは『シンデレラ』の方でしたね。こっちは裸になる意味が分かるからノイズにならないけどあれは酷いノイズだった。リリー・ジェームズもあれ嫌だったんじゃないのかな?って勝手に代弁しまくってますけど、これ観終わると結果的にリリー・ジェームズのことがもっと好きになれるんですよね何故か。この人は優等生イメージが窮屈だったんだろうな。『高慢と偏見とゾンビ』ぐらいが一番楽しかったんじゃないのかな。あれ凄い映画だったからね、ちゃんとジェーン・オースティンの『高慢と偏見』の原作の世界観を壊さずにちゃんとゾンビ映画だったっていう。ああいうヘンテコなものを愛してそうなリリー・ジェームズを私も愛する。この作品を楽しむために先に『シンデレラ』観ておいたのも役に立ちました。本当はシンデレラではなく継姉を演じたかったリリー・ジェームズのそういう部分がどういうことかよく分かって味わうことができるから、余裕がある人はそのコースお勧めします。

追記:パメラ・アンダーソン本人がドラマ化を拒否していたそうなので、そういうことであるのなら本作の出来はどうあれ観てはならないと思った。それは『全裸監督』と同じ構造だから認めてはならないのだと。このドラマ褒め称えてしまったために即座にそう思えなかった自分に対して現在猛省中です。
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