カーネーションの15の情報・感想・評価

エピソード15
第15話
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コメント12件
ERI

ERI

仕事が嫌で嫌で辞めたくなってしまった時大きな風邪をひいて、寝床についていたら、妹と母が話す声。 おねえちゃんはえらい。やりたいことは自分でなんとかしようと行動をする。羨ましいならうんとまねしなさい。できないなら、文句を言うのを辞めなさい。 そんな母が見ててくれてる言葉に勇気をもらって、また頑張ろうと心を入れ替える糸子。 これまで100回以上を聞いていた父からの「勉強や」の言葉がようやくスッと心に届いて見渡す職場はうんとちがってみえた。 すると、大将は夜になったらミシンは遊んでるんやでと教えてくれる。働き始めて2ヶ月。ミシンを触れるようになる糸子のあの満たされた尾野真千子さんのお芝居は秀逸。
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小吉

小吉

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糸子母、弱そうな印象が強かったけどやはり母。強い。 糸子がミシンを嬉しそうに磨いていて、そら大将もふたつきでOKだすんやろなあって思った。 なんだかんだ奈津が糸子に話に来るのがええね…
きりん

きりん

お母さんの諭し、めちゃんこ良かった それで元気になる糸子もいい、こんないい家族だと思ってなかった笑 先輩が残ってたのはそんなこったろなあと思ってたけど、大将からの言葉が必要だったんだ!ダンジョンが開拓されてく。そんなミシン愛されたら嬉しいもんねえ
Shiro

Shiro

「自分の力で好きなことをやりとげる糸子は偉い。」 確かに、好きなことをやるのは楽ではない部分がありますね。
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きみどり

きみどり

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おばあちゃん、いくらなんでも布団かけすぎです。 あんな風に愛でられたらミシンも嬉しいだろうよ。
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はろ

はろ

泣いてしまった この情感は何なのか? なんでもないミシンを抱きしめるシーン 尾野真千子の迫力がすごい!
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BLUE

BLUE

「好きなことするちゅうんはな、見てるほど楽とちゃうんやで 女は余計や、大変なんや。 姉ちゃんは偉いやん、やりたいことあったら全部自分でどないかしやる どんだけしんどうても根を上げへん。 ええなあ思うんやったら、なんぼでも真似し。 けど真似でけんと文句だけ言うんはあきまへん。」 良いお母さんだなぁ。 「知恵ちゅうのは増えていくばっかしのもんやし、10年ちゅうのは減っていくばっかしのもんや。」 「大丈夫や、うちはちゃんとミシンに近づいてる。」 前向きな主人公、大好き。 頑張った甲斐あって、ミシンの練習が出来るように...!
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夏藤涼太

夏藤涼太

たった15分の中に、これでもかと名シーンが詰め込まれている。まさに神回。 まず冒頭。 「ええなあ糸子姉ちゃんは。糸子姉ちゃんばっかし新しい着物着れるし、好きなことさしてもらえるんやさかい。『学校やめたい』 ちゅうたらやめさしてもうて、『働きたい』 ちゅうたら働かしてもうて」 とごねる妹に対し、母親が叱る。 「そない羨ましいんやったら、あんたも姉ちゃん見習うたらよろし。(略)こないなとこでお母ちゃんにグジュグジュ言わんと、自分でお父ちゃんに、『着物買うてください』って、頭下げといで。(略)好きなことするちゅうんはな、見てるほど楽とちゃうんやで。女は余計や。大変なんや。姉ちゃんは偉いやん。やりたいことあったら、ぜぇんぶ自分でどないかしよる。どんだけしんどうても音ぇあげへん。ええなあ思うんやったら、なんぼでも真似しい。けど真似でけんと、文句だけ言うんはあきません!」 これまで、甘やかさて育った、苦労知らずでほほんとした人物のように見えていた母親千代だが、このセリフから、彼女もきっと苦労してきたのだとわからされる。 温室でぬくぬくと育った千代は、「好きなこと」=駆け落ちをして、現実を知り、これまで大変な苦労をしたのだろう。 それはきっと、女だから、余計に。 そんな時、きっと彼女は、喉の奥にしみる涙や鼻水のしょっぱさを、金平糖で騙し騙しし、これまで辛さを乗り越えてきたのだ。 だからこそ、娘の糸子が苦しい思いをしているのを見抜き、こっそり金平糖をあげたのだろう。自分と同じように、これで耐え抜け、と。 これまでのほほんとしていたのは、それがこの小原家における自分の役割だと理解していたからに違いない。 もちろん、金平糖のくだりは妄想に過ぎない。だが、そんな妄想が膨らんでしまうほど、人物描写に筋が通っているというか、厚みのある人物造形がなされている…その点の素晴らしさを述べたいのだ。 あと、このセリフは日本語としても非常に美しい。声に出して言いたくなる。 この母の言葉を偶然聞いた糸子は、一気に負のメンタリティを抜け出す。 その結果、今までに見えていなかったものに気づけるようになったし、なにより、今まで聞こえていなかった(もちろん耳で聞こえてはいたが、聞き流していたために心に届いてはいなかった)言葉の意味にも気づけるようになる。 それが、父親の「勉強や」という言葉だ。 そんな、今まで聞き流してきた父親の言葉の意味がわかったように、今まで意地悪みたいに職人から言われ続けてきた言葉――わけのわからない仕事や苦痛なルール、その一つ一つが、すべて意味のあることだと気付いていく。 「仕事・やりたいこと」だと考えるから現状は辛いのだ。勉強だと思えば、そんな現状も、楽しめるようになる。そんなパラダイムシフトが、糸子の中で起こったのだ。 「その気になったら、勉強できることは山ほどあるんや。(略)知恵っちゅうのは、増えていくばっかしのもんやし、10年ちゅうのは、減っていくばっかしのもんやし。今日で…。16日目や…。あと9年と、…349日。大丈夫や。うちはちゃんと、ミシンに近づいてる」 もう、感動ですよ。 人が物語を惹かれるのは、物語を通して何かしらの欲望を満たしたいからではなく、主人公を通じて「成長」をしたいから、というものがある。 まさにこのシーンには、人がちゃんと生きて、一つの気づきから精神的に大きな成長を遂げるという(『ウェイキング・ライフ』が言うところの)「聖なる瞬間(The Holy Moment)」が描かれている。視聴者は、物語(映像)を通じて、自分もまた擬似的に「通過儀礼」を乗り越え、人間的成長を遂げる。 これはいわゆる「通過儀礼」であり、そこには当然、「苦難」が必須だ。 近年では「主人公が辛いシーンは見たくない」とか言って、漫画では「主人公の敗北」や「修行シーン」が描かれなくなり、朝ドラでも主人公が苦難に遭うシーンは極力省かれたりする傾向にある。たしかに「物語」を現実逃避の手段として用いるならば、辛いシーンは不要だろう。 だが、物語本来の効能――物語を通じた人間的成長――には、実際の成長に苦難が必要なように、やはり辛いシーンは必須なのだと改めて思わされる。 精神的な成長自体は、外からは見えにくく、一見すると大きな成長ではない。しかしそれが「本当の成長」には必要なものであり、その後も自分を支える哲学となる。 事実、「精神的成長」を遂げた主人公に気づいた大将は、「仕事が終わった後ならミシンを使うてもええで」と言ってくれる。精神的成長を遂げることで、肉体的・技術的成長の機会が与えられるということだ。 こうしてついにミシンに触れられるようになった糸子。その時、視聴者(僕)は気づくのだ。 ミシンが、とてつもなく美しく見えることに。 雑用という名の掃除を任せられている糸子は、ミシンをうっとりとした目で眺め、まるで恋人のように、愛おしそうに磨く。 かつてそのシーンを、視聴者目線は「こんな古いミシンに…この子は本当にミシンが好きなんだなぁ」と半ば距離を取って見ていたはずだが…… 今は、糸子の気持ちがわかる。 現代のミシンと違って、黒く、重く、しかしシンプルな足踏みミシン。それはなんと、磨きがいのあることだろう。 糸子の磨いたミシンは、その黒い身体に光が反射して、とてつもなくきらめいて見えるのだ。 まさに、この瞬間、我々視聴者は「糸子」になっているのだと、理解させられる。 最近ではすぐに「感情移入」「感情移入」と言われるが、これこそが、本当の「感情移入」、その瞬間なのだ。 世間一般で「感情移入」と言われているそれは、実はほとんどが「自己投影」である。 脚本術が普及した現代のエンタメでは、そもそも、「自己投影=感情移入」がしやすいような脚本・人物造形がなされている。というか、自己投影しにくいような作品の企画はそもそも通らない。 しかし、カーネーションの主人公は、魅力的だが、決して"いい人"でななく、(この先の恋愛の問題を考えても)普通に考えたら「自己投影」できない存在だ。 それでもなお、感情移入してしまう。一人の人間として共感してしてしまう。 そこに、この作品の凄みがある。 朝ドラといえば、そのルーツが「連続ラジオ小説」にあるように、また時代もあって、「バタバタした忙しい時間に主婦が家事をしながら見るモノ」という側面が求められてきた。 それため朝ドラにはいくつかの、暗黙のルールやマナーがある。説明台詞を多用して耳だけで聞いていても理解できるようにすること、ナレーション(語り)で各キャラの心情を説明してわかりやすくすること、1話(15分)内で必ず感動シーンを作ること、などだ。しかしその鉄則は、どうしても「作品としての完成度の低さ」に繋がってしまう。 だがカーネーションは、朝ドラとしては異例の作りになっており、その結果、『カーネーション』は現在までに合計31の国と地域で放送されており、これは『おしん』の73の国・地域に次いでいる。つまりNHKが「これが日本を代表するドラマです」と、自信を持って世界に発信できる作品はこの2つだということだろう。 「朝ドラとしては異例の作り」なゆえに、朝ドラとしては当時(『ゲゲゲの女房』や『あまちゃん』ほど)話題は取れなかったが、視聴者や批評家からは未だに「朝ドラ史上最高傑作」という称号で語られている。 もちろん序盤こそ、ナレーションや丁寧な説明は多く、いかにも朝ドラっぽい作りになっていた。 しかし3週目に入った辺りから、天才脚本家・渡辺あやが牙をむいたというか…いい意味で、視聴者に媚びず、やりたい放題やるようになってくる。 説明台詞は消え、各キャラの心情もわかりやすく説明されることはなくなり、代わりに映像による表現が増えてくる。そのようなもくろみがあったからこそ、『カーネーション』では、朝ドラ史上初のプログレッシブカメラが用いられたのだろう。 ちゃんと考えず、流しで見ていたら、「なんで今まで優しかったパッチ屋の人達は急に人格が変わったように厳しくなったんだ」と感じるかもしれない。 しかしそれはもちろん、(セリフで説明された)「お客様扱いをやめたから」ではなく、糸子を鍛えるためである。 そうでなければ、店に来なくなった糸子を心配して、わざわざ大将と一緒に小原呉服店にまでやってきて中をのぞいたりはしない。あの冷たさは、我が子を崖から落とす母ライオンがごとく、愛情の裏返しなのだ。 無論、そのことは言葉でわかりやすく説明されることはない。だが、人格が急変したかのような人物のギャップや、パッチ屋の面々の端々の言動から、想像はできる。 受動的な態度で見ていたら、この作品は深くまで理解することはできない。能動的に、時には想像しながら作品を見る姿勢が求められる。 それは、今SNS上で流行っている「考察」とは似て非なるモノだ。 いわゆる「考察」は、作り手が「わざと(作為的に)用意した」謎を、視聴者が、パズルを解くかのように考察しているだけにすぎない。それはあくまで「作り手上位」であり、対等な関係性に基づいたものではない、アンフェアなものだ。 一方、カーネーションにおけるそれは、ただ「視聴者に媚びていない」だけであり、それ故に、想像で補完(=考察)しなくてはならないものだ。それはある意味では不親切かもしれない。 だが、「対等(フェア)」ではある。 作り手にとっても、視聴者にとっても、登場人物への距離は同じだ。それは、作り手は「主人公の物語を作っている」のではなく、「主人公の言動を映像に撮っているだけ」だから。 作り手もまた――視聴者が登場人物の心の裏を想像するように――「彼はなぜこんなことをしているのだろう」と登場人物たちに問いかけながら作っている。 そこには決して、「作り手上位」な、上から目線の態度はない。 なによりカーネーションは、たとえ媚びがなくとも、「食らいついてでも見たくなる」魅力にあふれている。 そんな「視聴者への媚びなさ」は、時代考証の正確さにも表れている。 たとえばついこの間、傑作として話題となった『虎に翼』だが、こちらはわかりやすくするため・今のコンプラに合わせるため・メッセージを伝えるために、(あえて)時代考証を無視している箇所がかなりある。 しかし、カーネーションは「現代の視聴者への配慮」を削ってでも、時代考証の正確さにこだわっている。 だから、父親は今見るとクズにしか見えないし、この先には、主人公がわりとのんきな顔で出兵を見送ったりもするし(当時はすぐに返ってくるのが普通だったため)、メインヒロインの一人は朝ドラではあり得ない境遇に身を落とす事にさえなる。 それは、その時代に「本当に生きていた1人の人間」を定点観測的に描くためだろう。 渡辺あやの脚本術は、いわば「神」として作為的に、時には展開やメッセージのために設定をねじまげて人物や物語を書くのではなく、「本当に(作者の脳内に)生きている登場人物」を"イタコ的"に紙面(映像)に書き写すことにある。 だからこそ、渡辺あや脚本の映像を見ている視聴者は、たとえその主人公が自己投影できない存在だとしても、いつの間にか、するりと"感情移入"してしまうのである。 この時代に生きていたら、このようなことになってしまった……のだから、糸子も、奈津も、あのような展開に突入してしまう。 それは決して、現代の視聴者が自己投影できるようなものではないはずだ。
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ワイが感じた違和感は…男職場に若い女の子が入ったらチヤホヤしないか?ワイだったらみんなキツく当たっているので優しくしてポイント稼ぐけどね…こんな考え方が駄目なのかしら? あと試練なんだけどなんで主人公だけ背負わなアカンの?「寅に翼」は寅ちゃんにも味方がいてみんなで試練に立ち向かっていた所が良かったんだよね。 あと1人前に育てるのに10年?ワイが経営者なら3年で育てろっていうけどな…こんな考えだったから機械化が進んで職人入りませんってなったのでは??なんか愚痴ばかりですみません。
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Clary

Clary

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辞めちゃる!と熱で朦朧とする中、爆発と後悔の渦に陥るも、気持ち持ち直し、 あれだけ繰り返されていた「勉強」が腹落ち。 増えていく知恵と、減っていく10年。 そして、遠くなったミシンを使うことができることに! 縫うものもないのに順番待ちまでして、 なんて愛おしく見つめ、触れて、そして話しかけることか。
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FranKa

FranKa

ミシンにようやく触れられた糸子。
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みさこ

みさこ

2023.06.03