綾

バンド・オブ・ブラザースの綾のネタバレレビュー・内容・結末

バンド・オブ・ブラザース(2001年製作のドラマ)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

どこかで、胸を熱くしすぎないように、と思いながら観ていた気がする。たぶん6話くらいまで。このドラマはニュートラルで、史実とエンタメ性のバランスも良いのだと思う。ストーリーを通して、それに兵士の口からも「戦場に英雄なんていない」と語られていた。ドイツ軍を尊重してもいた。にも関わらず、根底にはずっと英雄的ななにかが流れているような気がして、私は、その、かすかに感じる英雄的ななにかに、抗いたいような気持ちやった。戦場に英雄なんていない。正義も名誉もない。あるのは混沌と恐怖だけ。だから、胸を熱くしすぎないように、って。どうしたって胸を熱させながら、でも、違和感とも呼べないような小さな引っかかりを感じ続けていた。

私が「戦争」ときいて思い浮かべるのは、もっとずっと陰鬱なもので。たとえば『ジェネレーションウォー』のような。栄光のさしこむ余地もないような、徹底的な暗さ。もちろん、ドイツ視点とアメリカ視点では、とくに大戦末期、醸す雰囲気が本質的にちがって当然なのやけれど。

思えばこの引っかかりは、『プライベートライアン』でも感じてた。しっかり胸を熱くさせながら、でも、いいのかなあ、こんなに感動して、いいのかなあ、って。素直に身を委ねきれない感じ。言い様もない居心地悪さ。あえて乱暴な言葉を使うなら、美化していいのかなあ、って、そういうことなんやと思う。

それがいつのまにか、本当にいつのまにか、消えてしまっていた。E中隊のみんなを見守るうち、兵士一人一人の顔と名前を覚えていくうち。
「おじいちゃんは戦争の英雄だったの?」「いいや。でもね、英雄のみんなと一緒に戦ったよ」
戦争に英雄なんていない、これはきっと本当。でも、彼らはみんな英雄だった、これも本当なのだと思う。敵兵を負かしたとか、連合軍を勝利に導いたとか、勲章を与えられたとか、そういうのとは別次元で。本当に言葉にするのがむずかしい。

「物語」の持つ力は絶大やなあとか、こういう心の働きを最大限利用したのがプロパガンダよなあとか、今でも脳裏にちらつくものはあるけれど。最終話を観終えた私の中には、「みんな英雄だった…」しかなくて。もうそれでいいのかもしれへん、この感動に身を委ねてみよう、と思えた。

私はWWⅡが Good War と呼ばれることには違和感がある。どんなことがあっても War に Good がつくことはあり得ないと思っている。たとえばあるドキュメンタリーで「(ヴェトナム戦争とちがって)僕たちの戦った戦争には大義があった」と誇らしげに語った退役軍人に、言いようもなく腹が立ったのを覚えている。本当にそう思ってるの? なにも疑問は浮かばないの? って。
でも。だからといって、戦場で実際に戦った兵士たちの信念や犠牲を(本当の意味で戦争を知らない私が)否定することもまた、間違っているんやと思う。そういうのは全て、誰にも何にも否定できない、侵してはいけないものなのだと思う。このドラマがそう教えてくれた気がする。うう、上手く言えない…

それから、どの年代の、どの国の、どんなイデオロギーのもと戦っている兵士も、最後には同じところに行き着くのかもしれない。どうして戦うのか。なんのために戦うのか。生きて帰れたら、シンプルで静かな人生を送ろう。

ようやくみんなを知れた頃に終わってしまったので、また観たいな… でも、「E中隊全体の物語」として観られたことも、すごくすごくよかった。
知らなかったことも、たくさん。

あと、最近読んだ本で、戦争がこれほど繰り返されるのには「戦場というメメント・モリの場で、人々が生き生きするという見落とされた側面がある。死が隣にあるからこそ、自動的に生が輝いてしまう」とあったのを思い出した。極限状態では人間の核となる部分が顕になるんやなあ、とも。

どうして私はこんなにも戦争ものに引かれるんやろう…もうずっと何年も不思議に思ってる。もっと知りたい、知らなければ、みたいな欲求。それはどこからくるんやろう。観終えてからずっと考えているけれど、やっぱり答えはわからないまま。「自動的に輝いてしまう生」に、惹きつけられてしまうんやろか…そんなふうにも、思う。

あと最近ではGOTや牯嶺街でも感動したけど、キャスティングの絶妙さ…すごいよなあ…役者さんもスタッフもすごい。みんなすごくかっこよかった。実在するかのような存在感で。

ああ、オープニングを観るだけでたまらない気持ちになる。本当に素晴らしかった…また観たい。
綾