Masato

ベター・コール・ソウル シーズン6のMasatoのレビュー・感想・評価

5.0

ついにファイナルシーズン。ネトフリ公式では一緒くたにシーズン6だが、今まで通りの前日譚のS6にBrBa後の現在が描かれるシーズン6.5が繰り広げられる超大団円。

全体的な面白さという点ではブレイキング・バッドのほうが格上なのだが、人間ドラマという点においてはBCSのほうが格段に良い。同じアルバカーキサーガの面白さを担保しつつも、BrBaとはまた違った方向性のドラマをソウル・グッドマンを主人公にして見せてくれた。本当に良い作品をありがとう。

まず、以前よりも増して擦れて壊れているOPに怖さが溢れる。もう終わりなのかと実感するようなOP。

前シーズンでジミーとキムの関係性が突然逆転してしまって、トラウマ必至レベルのサラマンカとの一件を経て逆に何かが吹っ切れてよく分からなくなってしまったキム。二人ともふとした瞬間にどこか空虚な面持ちを見せつつも、本来の自分の上に仮面を被ったまま悪事に身を任せるように生きている。

シーズン4くらいから顕著だったけど、キャラたちの心情を明かさずにそのまま行動を徹底して描いた後に徐々にその背景を明かしていくというやり方、あまりにも極まりすぎていた。物語が集結へと向かっていくファイナルだからこそ、その変化がもたらしたものというのが極端になってきてより複雑な気持ちにさせられる。

どんな人間にも複雑な要素が絡まっている。その象徴がキムだった。母親から譲り受けてしまった悪心との葛藤。その悪心がソウルというメタファーとなって現れていた。

何重にも沢山の方向からぶつかりあう正義心と悪心の葛藤がついに決着を見せる。彼女は幸せになれないのだろう。幸せになることは悪心に身を任せてしまうことだからだ。それはジミーも同じで、結果的にジミーはソウルとして悪に落ちてしまった。本来の悪しき自分との闘い。それこそ人間たらしめることだと思う。

彼女は正しいことのために幸せを諦めた。哀しいしやりきれないけど、同時に彼女らしく勇気ある決断だった。以前ジミーがチャックとの諍いで描かれていた心の中の悪との闘いのアンサー。実際のところ、全シーズンを通してそれを様々なアプローチで描ききったことがすごかった。

10話以降の現在パートはただのファンサービス的なものではなく、しっかりとソウルの今が事細かに描かれていて、過去に羨望の眼差しで思いを馳せると共にこれまでのサーガの総決算を果たしていく。最終話はBrBaと違って驚くほどに淡白。だけど奥深かった。キムがソウルに成り果てたジミーをジミーとして最後に引き出す形で終わらせた。「害悪(Poison)」を使って。ジミーのことを一番に理解していたのはチャックよりもキムだった。

S5E9のマイクの言葉を借りて言うけど、後悔しても道を降りても結局元に戻るだろう。すべては選択の結果。どうこうしようとしても無駄だ。それは自分の性の話にも繋がる。どうしょうもない悪事も後悔も善きことも喜びも、決して揺るぎない自分の性だ。自分だけでは決して理解することはできなかった、様々な人との愛と葛藤で綴られた壮大な自己受容の話だった。


前シーズンの最終話でサラマンカ絡みがとんでもないことに発展して終わり、良くも悪くもガスにタマを握られてしまっているナチョ。常に振り回されて可哀想だった。飼い犬になるか飼い主になるかは結局暴力で決まる。これぞ裏社会の怖いところ。狂気で包まれたサラマンカ家と青ざめた冷たさで包まれたガスを前に、優しすぎたナチョは飼い主に成りきれなかった。

ガスやマイクの存在の説得力が本作でさらに増し、またブレイキング・バッドを見たら違う印象を受けることは間違いなし。なのでいつかはもう一度BrBaを見たくなる。ラロの存在も含めて、本当によく出来たカルテル内戦だった。
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