次郎

ベター・コール・ソウル シーズン6の次郎のレビュー・感想・評価

5.0
余りにも、あまりにもビターでスイートな物語の結末。6シーズン63話、スピンオフ元の前作と映画を含めれば合計11シーズン126話という長大な”アルバカーキ・サーガ”の完結では、ウォルターの終わり、ジェシーの終わりに続く、「ソウルの終わり」をこれ以上ないほど完璧に描き切っていた。

本作の魅力となる要素は数あれど、核であったのはやはりジミーとキムという2人のキャラクター性に尽きるのだろう。ジミーとキムはそれぞれが善と悪を象徴するのではなく、お互いに善と悪を抱えており、天秤のようにその間で揺れ続けていた。ジミーは少しだけ悪に近く、キムは少しだけ善に近く。グラデーションの濃淡こそあれど白黒割り切れない2人は最高のバディであり、どこまでも人間らしかった。本作で第1話から徹底されていた光と影の映像美は言葉以上に雄弁に語り続けており、善と悪に揺れ動く2人の心情のメタファーでもあったのかと思ってしまった。

戦後の焼け野原の中、坂口安吾は「生きよ堕ちよ、その正当な手順のほかに、真に人間を救いうる便利な近道がありうるだろうか」と説いていたけど、前作におけるウォルターの真っ逆さまに堕ちていく疾走感は正しく堕落論の世界そのものだった。その傲慢で自分勝手な性格に心底ムカつきながらも、ジェットコースターのような急展開に次ぐ急展開は最高のカタルシスを与えてくれていた。だけど、結局のところ人は簡単に堕ちれないものだ。白黒簡単に付けられず、自分の決断に確信を得られないものだ。そういった人間が持つ逡巡や複雑さをゆっくりと描いてきたのが「ベター・コール・ソウル」の世界だった。人間の業というものは言葉によって語ろうとすればする程すり抜けてしまうし、人の持つ多面性は歳月と関係性によってでしか描けない。モノクロームのような毎日になったとしても人生は続いていくし、過去はいつだって現在の自分に追いついてくる。人生は、いつだって自分が生きてきたようにしか生きられない。擦り切れたOPのようにそんな実感が日に日に増していく年代に差し掛かった身としては、この結末には感情が揺さぶられ過ぎてどうにかなりそうだった。Saul Gone, but life goes on.

色々と思うことを書き連ねたけど、改めて本作の完成度の高さは「ドラマの持つ形式」の凄さを証明したものだったなと。俳優たちによる最高の演技。練りに練られた脚本による驚きと納得の展開。CGや演出に頼ることなく、明暗を巧みに捉えたカメラが映す、画面の構図が持つ説得力。時に驚かせ、時に残酷さを見せつける素晴らしい編集。最高の盛り上がりを見せるべきクライマックスにおいて、ここまで抑制した演出を貫いた手腕はもはや一つの芸術でしょう。余りにも完璧な映像表現、色褪せた荒野の向こう側に存在した、決して色褪せない大傑作。
次郎

次郎