こころとからだ

コンビニのセッピョルのこころとからだのレビュー・感想・評価

コンビニのセッピョル(2020年製作のドラマ)
5.0
文句のつけようがない。最高におもしろかった。全24話、あっという間に終わってしまったのが唯一の欠点ともいえよう。

バラエティ・コメディ色が強く見えるが、それは最初だけで、途中から後半はむしろ切なさが中心に描かれる。辛さを我慢して笑っているときのように、バラエティが挟まれるが、あくまでそちらがメインではなく、切なくなりすぎないようにバランスをとっているだけだ。

最後まで見たら、本当に切ない、許しの物語だと分かる。

キムユジョンの魅力が半端ない。アリ地獄のような魅力とはチチャンウクではなく、まさに彼女のことだ。

ときに少女や小悪魔、不良、泣き虫な子どものようだったりと、多彩な感情表現でドラマを最高に盛り立ててくれた。

笑顔が多い分、せつないシーンは特にぐっとくる。不幸な境遇でもあり、強く気丈に振る舞っているが、やはり無理をしていて、糸が切れた瞬間に弱さが溢れてしまう場面では、こちらまでもらってしまうこともしばしばあった。

デヒョンとセッピョルと同時進行で、色んな軸が動いていてが、どれも個性的でおもしろかった。

子犬との三角関係に、妹のファンシーガールズ、彼女のレゲエボーイ、シークレットのソナとの恋人関係とパラサイト、デヒョンの家族、デヒョンの父のジャンミ中国・張家界への道など、どれも最高だった。

何気に初期のセッピョル姉妹が家を追い出されてからチムジルバンで寝泊まりしているのを知ったデヒョン母が探しに行き、家に連れて帰ってくるシーンは思い出深く、特に感動した。

その前に、チムジルバンでたまたまロッカー前でうずくまるセッピョルに会って、話すうちに感情が抑えきれず泣いてしまうシーンも演技とは思えない生々しさだった。

その後も、家を出て戻ってきたときに、デヒョン母がセッピョルをうちはホテルじゃない、家族だからといって怒るシーンも感動したし、振り返ればセッピョルとデヒョンではなく、母とのエピソードに胸を打つものが多かった。

家族の話す釜山訛りが、人情味を載せやすい部分が大きいともいえる。関西人からすると、釜山訛りはどこか親近感を感じやすく、飾らないちょっと乱暴な言葉だからこそ、より素直に聞こえてくる。

家族でいえば、なかなか出番がないが毎回インパクトのある姿を見せたデヒョン姉の最後のシーンは、セッピョルに金や商品を取るからコンビニに入るのを止められたところだった気がする。あれから見ていないような。あれがキムジヒョンさんのクランクアップシーンだとしたら、なかなか切なく、最高に面白い。

ラブームのソルビン演じるセッピョルの妹ウンビョルも、わがままそうな感じが声の抑揚や目つきなどからビシビシ伝わってきて、演技はかなりハマっていた。デヒョン父ときゅうりパックをしながらゴロゴロしているシーンは、演技とは思えないくらい自然で、笑うと猫のような三日月型にきゅっと目が小さくなるところが素敵だった。

音楽もシーンやキャラごとに決まって流れるのが5パターンくらいあったが、ビリーアイリッシュの「バッドガール」そっくりな曲が決まってヤンチャなシーンで流れるのだが、もう途中から待っている自分がいた。エマニエル夫人的な官能的な曲も、ゲーセンでのDDRのような音ゲーをするときに流れるバカみたいな曲も、毎回きたきたとパターン化されることで、どんどん面白くなっていくのも新鮮だった。

Aprilの「crazy」はこのドラマのテーマであり、聞けば聞くほど、ポップでファンキーでぴったり合っている。そして真逆の切なすぎるバラードであるカンダニエルの「something」。本当にこの2曲がドラマのラブコメらしいポップな溌剌さと、影のあるシリアスな弱さとすれ違うつらさという二極を見事に表している。

17話以降、まったくなかったのに一気にセッピョルとの恋愛が進んだことへの違和感も少しあるし、無理して誰かに譲ることですべてが空回りしてうまくいかなくなることへのジレンマも見ていて感じたが、最後まで見たら、まあ手のひらの上ですべて転がされていたのだなと清々しく思える。

コンビニに対して蛍光灯の煌々と輝く無機質な場所というイメージだったが、ドラマをとおして拠り所というか安心できる暖かい場所なのかもしれないと思えるようになった。コンビニを舞台に相反する魅力を打ち出したところもこのドラマの新しさといえる。

これから好きな人に告白するときには赤いチューリップの花束を渡したいし、カップ焼きそばにはホルモン炒めを足して食べたいし、プデチゲのラーメンは半分に割って入れてあまりほぐさずに食べようと思う。

チョンセッピョル、チェゴ。