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屋根裏のラジャーのホッパーのネタバレレビュー・内容・結末

屋根裏のラジャー(2023年製作の映画)
2.9

このレビューはネタバレを含みます

エンドロールが終わってもモヤモヤした気持ちでいっぱいだった。なぜか?それはヒロインのアマンダがミスターバンディングに襲われるクライマックスのシーンに不満があるからだ。

 この物語のアイディアは幼少期の子供の発想は枷も知らず、とても自由で空想上の友達<イマジナリー>を作るほど創造力に優れているというものである。しかしイマジナリーのほとんどはいつか自分を創造してくれた子どもに忘れられてしまう存在であっていつまでも一緒にはいられず子どもに忘れられたイマジナリーたちは消えるかもしくは図書館にあるイマジナリーの街で暮らすというものである。

アマンダが創造したラジャーはいつも一緒に遊び相手になってくれる存在で決して彼女を裏切らない子どもだ。今回、ロジャーはアマンダに必要とされなくなって離ればなれになったわけではない。イマジナリーを食べる悪役ミスターバンディングから逃れるうちにアマンダが事故にあい意識を失ってしまい強制的にアマンダは病院にロジャーはイマジナリーの街と離ればなれになった。

イマジナリーの街で暮らすイマジナリーには少なくとも2通りあった。アマンダの母リジーが大人になって忘れられてしまった犬型イマジナリーの冷蔵庫、創造してくれた子どもが病死してしまったエミリー。いつか離れるということばかりではなく、ゲームの依頼クエストよろしく遊び相手を欲している世界中の子どもの夢に出て食い扶持を稼いでいる。さらにもし遊んだ子どもに気に入られるとその子のイマジナリーになれるというのは好ましいアイディアだった(ラジャーが別のこどものイマジナリーになりそうになって性別を変えるシーンは面白く見た)。

最初に戻ろう。クライマックス、アマンダのいる病室にロジャーと母親リジーとミスターバンディングと黒い少女のイマジナリーがいて揉めている。ロジャーのピンチにアマンダはリジーに冷蔵庫の名前を呼んでという。何故だろうか。リジーが冷蔵庫を呼べば状況を打破できる根拠が描かれていなかった。あったのは①アマンダのお婆ちゃんが冷蔵庫の話を少ししたのと、②イマジナリーの街でのラジャーと冷蔵庫の邂逅、③回想で蛇に冷蔵庫が飛びかかるシーンぐらいしかなかった気がする。リジーから見たら意識を取り戻した娘が切実に冷蔵庫を呼んでというのでそうするしかなかったなのかもしれないがそれでああそうするねとなるだろうか。リジーが冷蔵庫を呼ぶ動機が弱かったように思うのでクライマックスの解決としてはとても残念だったと指摘せざるを得ない。私だけだろうか?

ただ他に良かったのはアマンダが作家として生きてラジャーと長く付き合っていくという未来の余地も残せたことじゃないだろうか。〆切に追われて忙しくなったら度々消えて落ち着いたら戻るアマンダと同年代の姿のラジャーがいそうだなと思った。
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