ホッパー

さよなら、ベルリン またはファビアンの選択についてのホッパーのネタバレレビュー・内容・結末

2.0

このレビューはネタバレを含みます

何年かぶりに映画の途中で少し寝てしまった。初めて行った『bunkamura ル・シネマ』の椅子のせいかもしれない。ボクシングの練習帰りに行ったせいかもしれない。アート映画だと思ってしまって興味を失ってしまったからかもしれない。寝てしまったのは主人公とヒロインが出会ったbarのバックヤードあたりだ。目覚めたらまたベッドシーンだった。

 しかしこちらも映画ファンである。見逃したシーンを補填すべく想像力を働かせる。きっと主人公の文才に惚れたのだ。そういうシーンがあったはずだ。後半では主人公が主人公たる眩いシーンがあるはず。ヒロインのオーディションの原稿がそうであるに違いない。お手並み拝見!と思ったらなんとヒロインは自分の言葉で原稿を書いてオーディションを勝つ。主人公の手紙が素晴らしかったから触発されて素晴らしいアンサーが書けたとも言えるかもしれない。が、文才もあって演技も出来て魅力的なヒロインがなぜ主人公に惹かれるのか分からないまま映画は終わった。

 映画の登場人物はどんなことをしたかが人物描写に・キャラクターの魅力になる。この映画の主人公ファビアンは娼館に通うような男だ。コピーライターだった。戦争から帰ってきて胸を病んでいる。母親を大切にしている。友人を大切にしている。友人に小説を待ち望まれている。ウェイターに答えのいらない問いをする。失踪した友人を友人の父親と探す。元カノに電話をかけることができる。理解のある両親がいる。川で溺れる少年を助けようとする。こんなキャラクターだ。分からない。なぜヒロインを魅了した?

 原作は名著だそうで「ファビアン−あるモラリストの物語−」が邦題だ。モラリストにヒントがある気がして物販にあった原作を買おうと考えたが3,960円だった。寝てしまった映画にそんなに出せない。申し訳ないがAmazonの紹介文を引用しよう。“「当時の大都市の状態を描いている本書は、詩や写真のアルバムではなく、風刺なのだ。あったことをそのまま記述せず、誇張している。モラリストたる者、自分の時代に突きつけるのは、鏡ではなく、ゆがんだ鏡。」 (新版への「まえがき」より)”

この紹介文がこの物語の魅力なのだとしたらファビアンの観察眼や表現や言い回しが素晴らしいというようなシーンが必要だったのではないか。性欲の強い女性を契約書で縛ろうとする法律家の夫、喫茶店にいた若い女性を侍らせた男性が実は盲人であること。確かに言われてみればそういうシーンだったのだと分かるのだが、映画だけをみて分かるようにはなっていなかった。怪人の悪夢がそれではないだろう。解説や教養を必要とする映画だった。焚書のラストがきっと監督の撮りたかった絵なのだろう。力の信奉者が現代にもいると主張したいのだろう。メインの役者よりエキストラみたいな兵士が街を歩く姿を撮ることが風刺精神ということかもしれない。しかしそれをやるのに三時間の尺や役者たちの熱演を添え物にするのだろうか?テーマと物語が噛み合っていないと感じた。
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