よーだ育休準備中

すずめの戸締まりのよーだ育休準備中のネタバレレビュー・内容・結末

すずめの戸締まり(2022年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

震災孤児となった岩戸鈴芽は、宮城の実家を離れて宮崎の叔母の元へと身を寄せる。12年経ってもなお当時の夢に苦しむ鈴芽が、全国各所に点在する《後ろ戸》を閉じて回っているという《閉じ師》の青年と出会った事で、自分自身と向き合う数奇な旅が幕を開ける。


◆没入感がすごい、安定の作画クオリティ。

特別公開されていた「冒頭12分」の映像を観て思ったのは、『従来の作品以上にファンタジー色が強い作品なのかな?』という事。新海作品の好きな所は《繊細な心理描写》と《写実的な世界》です。特に【君の名は。】以降の作品では都心のリアリティが凄まじく、【天気の子】で協賛企業が増えてからは没入感がさらに高まったと感じています。今作はファンタジーの世界を舞台にした【星を追う子ども】の様に『現実から乖離した作品なのかな?』とおっかなびっくりしていましたが、どうやら杞憂だった様です。

宮崎、四国、神戸を経て東京。そして宮城。
美しい線と色彩で描かれた背景美術は素晴らしく、東京都心の再現度も高い。《運転手の目線》で街や首都高を走らせるのは新たな試みでしょうか。没入感をさらに高めるとても良い演出だったと思います。

元々新海監督は日常の何気ない一コマを切り取るのが上手だと思っていました。(【君の名は。】での《和室の襖》と《電車のドア》の開け閉めをユニークな視点からテンポよく差し込む演出が好きだった。)そんな監督が《扉》をモチーフにした作品を手掛ける。強みを活かした作品になったと思います。


◆夏の終わりのロードムービー。

今作は色恋模様は控えめに、少女が成長する姿を描いたロードムービーとして秀逸な作品でした。直近の二作品と比較しても随分と毛色が異なります。

☑︎ 糸森町を破滅の運命から救った「滝」
☑︎ 天気の巫女を現世に繋ぎ止めた「帆高」

今作は悲劇のヒロインと白馬に乗った王子様が織りなす王道のラブストーリーではありません。思春期の悩める少女が、自分の足で立って、考えて、行動して。一回り成長して帰郷する。12年ぶりの里帰りで、自分の過去の《つかえ》と向き合い、自分でケリをつける。それどころか、呪いをかけられたイケメンのお兄さんを助け出して、目覚めのキスも彼女の方から。ディズニーのプリンセス同様、新海作品のヒロインも待ちの姿勢から自ら殻を破るタイプへとスライドしました。

少女が一人旅を通して成長する作品という事で、宮崎駿監督の代表作品の【魔女の宅急便】が意識されているそうですね。都心から東北へ向かう車中で、【ルージュの伝言】を流しながら『猫も居るしね』という小粋な一言。現代日本のアニメ映画界屈指のヒットメイカーから、日本アニメ業界を牽引してきた巨匠へ素敵なオマージュが捧げられていました。

毛色が違うと言えば、今作では《前作のキャラクター》が登場するシーンに気がつきませんでした。【君の名は。】では【言の葉の庭】の雪野先生が、【天気の子】でも瀧くんや三葉をはじめとした【君の名は。】の主要キャラが登場していました。今作でも陽菜や帆高たちが登場するものと勘繰り、こっそり探していたのですが、全然気が付きませんでした。よくよく考えてみれば、雨が止まなくなった《壊れた世界》とは別の世界のお話だったのかもしれません。過去作のキャラクターは出ていなかった(と思う)けれど、劇中で流れていたニュース番組のBGMで【君の名は。】の劇伴が使われていた事には気が付きました。瀧くん役を好演した神木隆之介が今作では芹澤という別キャラクターの声をあてている事も、《世界が違う》事を鑑みれば、本人が気にしている様な『世界観を壊す』ことにはなっていないのかも。


◆ 宗教×災害のテイストはそのままに。

近年の新海作品では、隕石、異常気象と《災害》がテーマに組み込まれていました。今作ではついに東日本大震災にフィーチャー。そして、物語の世界では『地震を起こす原因は日本列島の真下に封印されている《みみず》が引き起こすものである』として、地震発生のメカニズムにファンタジーの要素を取り入れて描かれていました。

仏教とか神道とか、日本を代表する宗教について細かな差異はわかりませんが、【君の名は。】ではヒロインの実家が宮水神社であり、【天気の子】ではヒロインが天気の巫女として生贄に捧げられる運命にありました。近年の新海作品は《災害》とあわせて《宗教》的なエッセンスが取り入れられています。今作では直接的に寺社仏閣が登場することはありませんでしたが、やはり宗教的、神話的要素は強く感じられました。

『タケミカヅチノミコトが、地震を引き起こす大鯰を要石で封じた日本神話』が物語のベースになっているであろう事。そして、主人公の名前《岩戸》は《アマテラスの岩戸がくれ》を、《宗像》は《宗像大社:アマテラスに所縁のある神社》を連想させます。作中のクライマックスにも《岩戸がくれ》の神話(岩戸から大神の腕を掴んで引っ張り出す)よろしく《鈴芽が扉を開けて草太の腕を引っ張って連れ戻す》シーンがありました。

細かい演出の部分ですが、要石から解き放たれて東京上空に広がった《みみずの全体像》は、仏像の光背のように禍々しくもどこか神々しく見えました。


◆ 鈴芽と草太はキラキラでしたが…、

少女の成長を描くストーリーの中で、ネガティブな部分も描かれていました。常世に封印されている《みみず》が現世に現れる入口となる《後ろ戸》は、過去の災害や過疎化によって《廃れて寂れた廃墟》に存在するということ。『不思議な世界の入り口が身近なところにある』というよりも『生と死は紙一重』というように感じました。『いってきます』『ただいま』そんな何気無い言葉を交わし、日常の生活を送れる幸せは、薄氷の上を踏む様なものだと言わんばかりに描かれています。震災を通して、当時の日本国民みなが痛感したことです。関東圏でも断水や輪番停電によって、日常生活に支障をきたした記憶があります。


『命は仮初。死は常に隣り合わせにある。それでも、今一時だけでも、永らえたいー。』


【天気の子】では『天と地の間で、振り落とされぬようしがみつき、仮住まいさせていただいているー。』『僕たちに何も足さず、何も引かないでくださいー。』という台詞がありましたが、今作ではそれがより直接的に表現されていたと感じます。

その他にも、叔母の岩戸環と姪の鈴芽との関係を通して、生と死が表裏一体である事と同様に、《愛憎が表裏一体である事》が描かれていました。前作で《恩人に銃を向けた》帆高のシーンが物議を醸したようですが(個人的には野生の男子高校生の必死さが良かったと思っています)、今作によって一つ結論が出た様に思います。人間って複雑で面倒くさくて、二律背反の矛盾した感情を平気で内包している生き物なんだよなぁって。


◆胸糞にならない絶妙な匙加減。

芹澤がやたらと『闇深い』という台詞を口にしていましたが、今作を観て何より《闇深い》と感じたのは《ダイジン》の存在でした。鈴芽が引き抜いてしまった西の要石が、その役割を放棄して、神様の様に猫の様に、掴みどころがなく自由気ままに飄々と全国を放浪する姿。神戸の後ろ戸のシークエンスで邪悪な笑みを浮かべている姿にはゾッとしましたが、ラストシーンではその印象がガラッと変わりました。

ダイジンの正体は何者だったのか。神様だったのか、神様になったのか、わかりませんでしたが、『もう要石の役割をしたくない』というダイジンが結局その役割に戻る事となる結末。普通の人間である鈴芽か草太のどちらかが要石になれば良かったなんてこれっぽっちも思っていないですし、若い二人の爽やかな青春物語はとても良かった。ですが、最後の最後で『誰かがババを引かされる展開』に、心をぐちゃぐちゃっと掻き回されたような気分になりました。

『本当に必要な仕事は誰にも知られない方がいいー。』という台詞が発せられた瞬間は厨二心も相まってカッコよく響きましたが、ラストでは臭い物に蓋をしているように感じました。誰かの犠牲の上に今の暮らしが成り立っている事も真理なのかもしれませんが。綺麗なハッピーエンドでは終わらせない深海監督らしさはそのままに、その見せ方には磨きがかかっていたと思います。