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Exit The Matrixのdm10foreverのレビュー・感想・評価

Exit The Matrix(2021年製作の映画)
3.6
【幸福論】

個人的に開催中の「GYAO!さん、今までありがとう!勝手に大感謝祭」にて。

以前、AmazonPrimeVideoで鑑賞した「おだやか家」にもどこか通ずるようなテーマでありながらも、リアリティではこちらのほうが数段上をいく作品。

ロシアの中心部から遠く離れた地方に暮らす人々にとって唯一の交通手段である「オトモトリス(通称マトリックス号)」を通して、人間が求める幸せの正体を探していくドキュメンタリー。

広大な国土を持つロシアが舞台というだけあって、なお更地方ともなれば「山」「川」「草原」とひとつひとつのスケールはでかい。
なので、映し出される映像は軒並み「雄大な自然」ではあるんだけど、裏を返せば「厳しい環境下で暮らしている人々」の背景として、どこか「君臨する存在」のようにも感じた。

現代の人間はキャリアを積んでお金持ちになっていくことが「幸せの指標」になりがちであることは否定できない。
それは社会主義であれ民主主義であれ「持っている」ことである程度の優劣が決るというのは共通の価値観だから。

でも、圧倒的大多数の人間はどんなに求めても何も変わらない毎日が続く。
まるで「毎日同じところを走り続けている」ような錯覚すら感じる。
もしかしたら、それはライアン・レイノルズが主演した「フリーガイ」で描かれていたモブのような感覚なのかもしれない。
「幸せ」というものは、求めれば求めるほど天井知らずのように形が膨れ上がっていく。

しかし、自分が死ぬまでの間にそれを全て手に入れることが出来る人間はほんの一握りしかいないだろうし、仮に巨万の富を得たとして、そこに本当の幸福が待っているという保証はどこにもない。
膨れ上がった欲望は「more,more・・・」を繰り返し、止まる事はないのかもしれないし、リミットが外れた欲望には、そもそもゴールなどなくなっているのかもしれないから。

そんな時、「求めない幸せ」というものがあってもいいのかもしれない。
「求めた分だけ求められる」という社会のシステムの中に身を置き続けることで心に何も残らない生き方にNoと言えるのなら、その社会システムから離れてみるのも選択肢の一つなのではないか。

『なぜ、人は幸せや真実を何処かに求めるのでしょう?実際はそれはあなたの心の中にあるものであり、探す必要なんかないのに・・・』

現代の奴隷的な心理的足枷(あしかせ)は、古代の物理的なそれよりも遥かに恐ろしい。
もちろん、社会のシステムやルールに従って盲目的に財産やステイタスを積み上げることが幸せだという概念自体を否定はしない。
個人がそこに幸福を感じているならそれはそれでよいことだから。
でも、いつのまにか生きることが二の次になってしまって、「得ること」「持つこと」だけが幸せの価値基準になっていないだろうか?

『古代の足枷は壊して逃げることが出来た。しかし、現代の奴隷的心理的な足枷(鎖)の存在には気付くことすら出来ないのかもしれない』

このタイトルにもある「Exit the Matrix(マトリックス号から降りるということ)」。

そこには余分なものは何もない。
必要なものを最低限持っていればいい。
どうしても足りないものはマトリックス号が運んできてくれる。
ここで「自分が生きている」という事実が何よりも大切。
お金やキャリアよりも自由と尊厳を求めた人たちがこの村でマトリックス号を降り、そして暮らしている。

この村で列車を降りて自問自答してみると答えが見えるのかもしれない。
「きっと現実逃避だろう。でも、それに自分が調和しているとしたら?」
こういう生活が必ずしも理想的とは思わない。
やっぱり自分は都会で暮らしたいという考え方だってあるだろうし、僕も自ら不便を選ぶかと言われれば・・・悩む。
でも、合わない場所での合わない生き方で心が死ぬくらいなら、逃避することは恥かしいことではないと思う。

≪マトリックス号から降りるということ≫

それを「勇気」と感じる時点で、自分には合っていない生き方なのかもしれない。
でも「生きるということを実感できる生き方」の答えは、今の僕には答えがわからないな・・・。
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