犬たろ

僕らの世界が交わるまでの犬たろのネタバレレビュー・内容・結末

僕らの世界が交わるまで(2022年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

『親は子供のことを少しも理解していない。でもその存在がありがたい』
(奥田英朗著 短編小説集『家日和』“ここが青山”より引用)

製作会社A24は、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』でアカデミー賞を獲得したのは記憶に新しく、『ミッドサマー』『ヘレディタリー/継承』『スイス・アーミー・マン』などニッチな作品が取り沙汰される。しかし、今作のような普遍的なテーマを取り扱うのも絶妙に上手い。

個性派俳優ジェシー・アイゼンバーグの初監督作品というだけで胸が躍るにもかかわらず、プロデューサーにはオスカー女優のエマ・ストーンも加わり、『ゾンビランド』で共演した彼ら盟友が生み出したのは、誰しもが身に覚えのある【家族あるある】の煩わしさの中で、いつしか忘れていたかけがえのない愛おしさを取り戻す物語だ。

“家族って時々ムズカシイ”

親、そして子。最も身近な他人、もとい間柄であるからこそ、いつしかそこにいるのが当たり前という、取るに足らない存在に成り下がり、敬う心を忘れがちになるのは何故だろう。自分本位な振る舞いの応酬に、心は擦り減るばかり。磨きをかけて煌びやかな関係にしたいはずが、日に日に輝きは失われ、気を揉んでばかり。気づけば仕事も、遊びも、中途半端に終わる。こんなはずじゃなかったのに。

“家族って時々ハズカシイ”

親身になってくれると思いきや、身勝手な理想や期待を押し付けてばかり。次第に、真正面から向き合うことを避けたくなる。興味関心がないわけじゃない。それは充分すぎるほど知っている。だから嫌いにはなれない。いや、好きだからこそ近づいてきたとき、無性に恥ずかしくなる。

“家族って時々ネタマシイ”

社会奉仕という夢中になれる仕事に就き、家庭を顧みない母親。はたまた、音楽という夢中になれる趣味を見つけ、SNSのフォロワー数を振りかざして恋に励む息子。やりがいあるものを納得いくまで取り組めるのは、ひとつ屋根の下で持ちつ持たれつ支え合い、暮らしを営んでいる家族あってのこと。であるにもかかわらず、我が物顔で振る舞う繊細さの欠けた結びつきに、どう足掻いても苛立ちは隠せない。

“家族って時々スバラシイ”

失敗は成功のもと。失敗を知らない人に、深みは出ない。酸いも甘いも噛み分けて、人は大人の階段を登っていく。それは子供に限らず、大人だって同じこと。誰しも最初は素人だ。仕事も、恋も、迷いは付きもの。血を分けた親子であっても、良好な関係は一朝一夕に築けるものではない。恐れることはない。何があっても揺るぎない、立ち返ることが何時も、何度でも許されている唯一無二の場所がそこにはある。家族は最後の砦だ。

家族──。それは、そこにいるのが当たり前な、最も身近な取るに足らない他人であるからこそ、敬う心忘るまじ。

p.s.

その昔、私の母親に関するエッセイをしたためて、とあるサイトに投稿した。すると、ほんの数日間だったがトップページにピックアップされて、とても嬉しかった。私がしたためたものを誰かに認めてもらえた、ということ以上に、私の母親をほめてもらえた、そんな気がして嬉しかったのだ。

息子にとって、母親や父親という存在は、最も身近な煩わしい宿敵であり、他の誰よりも思慕を寄せる心の師である。
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