このレビューはネタバレを含みます
ヘソン氏(ユ・テオ)、僕は君のことを、どうしても好きにはなれない理由がある。それを単なる“恋敵”という言葉だけで片付けられたら、どれだけ気が楽になるだろうか。
ノラ(グレタ・リー)は君のことを、僕に包み隠さず話してくれた。母国の韓国を離れて20年余り、ここニューヨークの一角に暮らしの根を張る彼女が、幼い頃に心を通わせながら切磋琢磨していた一人の男の子がいたことを話してくれたとき、彼女は相好を崩して生き生きとしていた。
そんな姿を目の当たりにすれば、彼女が君と再会を果たす日がやってくることは容易に想像がついた。だからこそ、その日が刻々と近づいてくることは、不安でしょうがなかった。
彼女は君に会いたがっている。それは、言葉にしなくても手に取るように伝わってくる。彼女の幸せを願うことには一点の曇りもない。それでも、僕は嫉妬からくる不安や苛立ちをかき消すことで躍起になるばかりだった。
君が我が家にやってきたとき、思っていた以上に好青年な印象を覚えて拍子抜けした。無礼な振る舞いは何ひとつないばかりでなく、使い慣れない英語で僕とコミュニケーションを図ろうとしてくれる優しさも嬉しい限りだった。いくらか鼻に付くところさえあれば、ある意味で救われるところもあったろうに、彼女が君に思いを寄せるのも無理はないと今では思う。
君と彼女の二人きりにさせるのはどうしても気を揉んでしまうため、平静を装いながらも夕食に出かけようと誘ったのは、ささやかながらの反抗、いや惨めな嫉妬を隠すための強がりだったことを正直に告白しておく。
案の定、君と彼女の仲睦まじい姿は、瞬く間に幼少期のそれに様変わりしたのは言うまでもなく、のべつ幕なしに母国語で話し始めた君たちを横目に、グラスを握る僕の手は苛立ちを隠しきれなかった。
物語としては完全に負け戦。僕には勝ち目がないと思っていたが、夜な夜なベッドに横たわりながら不安な思いを彼女にぶつけてみれば、彼女は真っ直ぐ僕を愛してくれた。だからこそ僕は、彼女の葛藤、痛み苦しみの全てを、何が何でも受け止め寄り添う覚悟を決めた。
君が母国に帰る日、スーツケースを引く君の後を追うように、彼女は「下まで送ってくる。すぐ戻るから」と言い残し、二人して我が家の玄関を出た。
君たちが別れ際に、どういう言葉を交わしたのか、どういう立ち振る舞いをしたのか、それは知る由もない。いや、知るべきではないとさえ思う。なぜなら彼女にとって君は、掛け替えのない存在であること、それは疑う余地がないからだ。
「すぐ戻るから」
僕は彼女のその言葉だけを信じた。嫉妬からくる苛立ちを鎮めるように、アパートの入り口で紫煙を燻らせながら、彼女の帰りを待つことにした。
彼女の両親が喫煙者だったこともあってか、煙草に冷ややかな彼女に配慮してしばらく禁煙していたが、一本だけ持ち出して火を付けてしまった。
君を見送って帰ってきた彼女は、紫煙を燻らせる僕を一目見た瞬間、肩を振るわせながら嗚咽するように泣き始めた。
君も充分知っているだろう。彼女が思慮深い人であることを。
君が今日まで思慕の念を寄せ続けてくれたことが嬉しいばかりでなく、20年余りの時を経ても尚、世の中には変わらないものがあるということ、そして僕が煙草に火を付けた理由に対しても、その全てに「ありがとう」と「ごめんなさい」が混在していた落涙だったことを伝えておく。
ヘソン氏、僕は君のことを、どうしても好きにはなれない理由がある。それを単なる“恋敵”という言葉だけで片付けられたら、どれだけ気が楽になるだろうか。
僕はノラのことを、心の底から愛している。彼女の葛藤、痛み苦しみの全てを、何が何でも受け止め寄り添う覚悟でいる。だからこそ、僕は君のことを、どうしても嫌いにはなれない。
また逢おう。
p.s.
ノラの夫、アーサー(ジョン・マガロ)に思いを馳せるばかりだったため、“意を決したアーサーがヘソン宛にペンを執った”という体で感想文をしたためた。
上映終了後も号泣しながら劇場を後にし、止まない落涙を何度も拭いながら帰路に就いた。