このレビューはネタバレを含みます
惨い仕打ちを受けて満身創痍で彷徨いつづける難民家族、人権など何処吹く風と残酷極まりない国境警備隊、地獄のような国境の狭間で救いの手を差し伸べる支援活動家。
モノクロで映し出されたことによって、スクリーンを一枚隔てた向こう側の痛ましい姿から何とか目を背けずに見届けることができたものの、どうしても「自分だったらどうするだろう」「日本だってこの先どうなることやら」という思いが、頭の中で騒がしいほど渦巻いていたことをここに綴る──。
世の中には良い生き物と悪い生き物がいて、私はどちらの生き物なのだろうかと考えることがある。
世のため人のために尽力することが容易くできて、自信を持って私は良い生き物だと胸を張れるときがある。
誰彼構わず蔑んだ目で見て罵詈雑言を吐き散らかす、卑劣極まりない無慈悲な悪い生き物と化すときがある。
差別は良くないと頭では分かっている。しかし、差別をしていないと言えば嘘になる。
教員だって、警察官だって、医療従事者だって、障害者だって、農家だって、政治家だって、芸能人だって、その他諸々、良い人もいれば悪い人もいる。
「仕事だから」「生きるためだから」そう言ってしまえば、幾分か気が楽になる。
政治に対する不安と期待で心がゆれる。税金は年々上がる。不満や怒りが募る。しかし、巷では“平和ボケ”と揶揄されるほどの平穏な日常がこの国にはある。
内閣の支持率が下がる。野党が虎視眈々と与党の座を狙う。
“平和ボケ”と揶揄されるこの国の平穏な日常は、明日も明後日も、来月も来年も、担保されているのだろうかと危惧する。
良い生き物は、思いやりの心を、おもてなしの精神を、優しさを備えている。
女子供が夜道を気にせず歩くことができる。喫茶店で席に荷物を置いたまま離れることができる。都内近郊の主要駅構内にあるトイレは、大概がきれいで安心して用が足せる。落とした荷物や財布は手元に返って来る。
日本は素晴らしい国だと思う反面、政治には心配が付き纏う。
お人好しで、黙することを美徳とし、程よく無関心な我が国の国民性が色褪せる。武器を持たずに外は歩けず、暴力や強奪も何ら厭わず、誰彼問わず疑いの目で見つめる。そんな日が訪れるのもそう遠くないかもしれない。そう思えば、身が震える。
明日は我が身だと、畏怖を抱く。
p.s.
私がただ知らないだけで、日本でもこの映画と同じようなことが起こっていたりしないのだろうか。