さよこ

MEN 同じ顔の男たちのさよこのレビュー・感想・評価

MEN 同じ顔の男たち(2022年製作の映画)
3.4
【Filmarks試写会で鑑賞🎥】
試写会のアフタートークでは、アレックス・ガーランド監督が登壇👏制作エピソードがたくさん聞けたので、覚えてる限りでレポしてます📝

🍎全体の感想
すぐ目の前で起きていることへの恐怖心と、主人公の過去のフラッシュバックが入り混じり、交互に別の種類の恐怖が襲ってくる。とても恐ろしい寓話を観てしまった。そんな気分。考えさせられるし、とても怖い。ミッドサマーよりずっと怖い。

🍎映像の振り幅
イギリスの田舎街。輝くような新緑と、クラシックな内装の家。そして主人公の服装。どれも美しくて、お洒落×ホラーな映画かと思って油断した。美術スキルが高い人がいると、ホラーな描写はとんでもなくグロテスク。美しさとグロテスクの振り幅が凄くて呆気にとられた。そして怖かったです。しばらく家の電気は消せないし、絶対に住んでるエリアで停電になって欲しくない。まぢで怖い。

🍎注意
本編には動物を○○するシーンがあるので、人によっては刺激が強いかもです。自分は無類の動物好きなのでちょっと目を伏せてしまいました。

まだ公開前なので感想はここまで🙏
スコアは公開後に付ける予定です。

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⚠️ここから先はアフタートークレポです📝
⚠️本編に関わる内容が若干含まれているのでご注意ください
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この日のアフタートークは、来日したアレックス・ガーランド監督が登壇。試写会に参加してる人からの質問にもたくさん答えてくださって、すてきな監督さんでした🙌

Q.同じ顔の男が現れるアイディアはどこから?
A.まず、自分が映画を作るときには、なるべく''問い''を立てるようにしてるんだ。映画を観て、みんなにもこの問いに対して一緒に謎解きをしてほしいと思ってる。答えを全部与えてくれるような映画にはあまり興味がなくて。質問の『同じ顔』についてだが、それもこの''問い''に関わってくる。
1つは『男はみんな同じなのか?』そしてもう1つは『(同じではないが)みんな同じように見えるのか?』だ。この2つは似ているようで全く違う問いになる。そしてこの映画の主人公は、男が同じ顔をしていることに気づいている素振りがない。果たして、この問いの答えはどちらだろう。考えてみてほしい。

Q.先行上映されたマスコミ向け試写会では、Toxic masculinity(*1)について話題になったが、監督自身はどう思うか? 
*1…Toxic masculinity(トクシックマスキュリティ)とは、日本語で「有害な男らしさ(男性性)」と訳され、伝統的に男はこう振る舞うべきとされる行動規範のうち、負の側面があるとされるもののこと。例えば、男性優位の意識(女性を見下すような意識)や、男はタフでないといけない、泣いたらダメだという意識、男は性的に活発であるべきという意識などが具体的には挙げられる。
A.有害な男性性については特別新しいことではない。自分は1970年代生まれだが、自分の父や母も話題にしていただろうし、昔から議論されている。そのわりには社会はそんなに変わっていないように思える。女性が声を上げることも大事だが、男性もこの議論に参加することは大事なことだと思う。

〜ここから参加者による質問〜

Q.ビジュアルや技術面で挑戦したことは?
A.漫画家だった父親の影響なのか、映画を制作するときには視覚的に考えるタイプなんだ。ビジュアルでは田舎の牧歌的な美しさを撮りたいと思った。またお産のシーンは、企画段階でスタッフにアイディアを伝えたらショックを受けていた。映画にあるように○○の身体に○○がある(※だいぶラストの話になるので伏せ字にしてます。下の方に後述します🙏)ものではなかったけど、出産というのは昔からある普遍的なものなのにショックを受けているスタッフがいることに驚いた。

Q.監督の過去作品ではどれも美しい自然が描かれている。監督の中で自然を作品に取り入れるのは、何か意図や意味があるのか?(※質問の前に作品への感想を伝えていて、その感想へのアンサーを含めた回答になります)
A.まず、映画を作る人には2つのパターンがあると思っていて、1つは『自分が13〜15歳くらいのティーンエイジャー時代に好きだったものを繰り返す(再現する)パターン』と、『世の中で起きたことにリアクションして作っていくパターン(つまり過去の作品にとらわれない)』で、自分は完全に後者。そしてシュールレアリスム(=超現実主義)な側面も宿している。もしかしたら今回のように奇妙な物語は、現実に即してないじゃないかと思われるかもしれないが、自分からしたら現実の世界のほうがよっぽと奇妙じゃないかと思っている。最後に、自然は単純に好きだから作品に取り入れている。自然は私にとって生活の一部だ。

Q.主人公ハーパーというキャラクターを演じる役者に対して、監督はどのようなニュアンスのことを伝えたのか?またどのようにしてキャラクターを作り上げたのか。
A.自分は入念にリハーサルをしたうえで映画撮影をするスタイル。そのためリハーサルの時間を確保できる役者をキャスティングをすることが契約に含まれている。本作でも撮影前に2週間ほどかけて、台本の読み合わせや、リハーサル、映画のテーマについて話し合う時間を設けた。今回主人公を演じたジェシー・バックリーは直感的に演じるタイプだったので、彼女のやることに合わせて撮影の仕方や演出を変えたりしている。映画監督の一般的なイメージは、監督が一から全て決定しているように思われるが、自分の場合はそうではなく、役者やスタッフたちとコラボレーションをしながら撮っている。例えば劇中に出てくるピアノ。あれは美術スタッフが用意したものではないんだ。元々ロケ地にあったもので、運び出すのが大変だったからそのままにしていた。ある日、撮影の合間にジェシー(ハーパー役)がピアノを弾き始めたから、そのままピアノのシーンを起用した。あとは、演出面でいうと、彼女の怒りがこみ上げるシーンをどう表現するかはけっこう話し合った。自分としては典型的なホラーの手法は避けたいと考えていたからね。役者と話し合いながら決めていくことで、監督としての演出をなるべく縮小し、役者とのコラボレーションを大事にしている。

Q.男の加害性に加え、自分には『生命』がテーマのように感じた。生や死について監督はどのように捉え、映画に盛り込んだのか?
A.(しばらく考え込む)…これが直接的な回答になるかは分からないけれど、まず自分は無神論者である。神を信じないし、死後を信じてはいない。そしてこの映画では生や死、また男と女について触れているけれど、もう一つ『神話性』にも触れている。これはある種の縛られたストーリーテリングの手法の1つではあるんだけど、本来は力を帯びなくてもよいものが力を帯びていて、これが映画に含まれています。

Q.おそらく日本では同様のテーマ(※Toxic masculinity)で映画を作ることは今はまだ難しいんじゃないかと思っている。このテーマを描くのにあたって挑戦した、あるいは躊躇したことはあるか?
A.ベストな答えになるか不安だけど、困難だったことは、撮影しながら怒りのような強い感情が込み上げたこと。演出するにあたって、その感情をコントロールしなくてはならなかった。この大きな感情の正体を考えたときに、それは『恥』や『罪悪感』『嫌悪感』だと気づいた。自分が正しいというつもりもないし、モラルを偉そうにいうつもりも全くないが、男性の加害性について怒りが込み上げてきたんだ。これはさっきも言ったとおり、何も新しいものではなく、昔から話題になっているし#MeToo運動でも世界中が議論していること。だけど、娘が11歳か12歳になる頃かな、ある日、街の男性たちの娘に対する(セクシャルな)視線に気付いたんだ。またある日は乗り物に乗っていて触られたとか、盗撮されたとか、そういう話を娘から聞くんだよ。今まで散々論じてきたのに、だ。それもおかしな男性ではなく、スーツを着ている会社員であったり、ごくありふれた男性たちが娘に向けてそういう側面をみせるんだ。そして同じ男として恥ずべきことだと感じる。そういった感情が込み上げて、撮影はとても難しかった。1つ付け加えておくと、この作品は世の男性を懲らしめるつもりで作ってはいない。むしろ自分自身に鏡を当てているような感覚。決して心地よくない真実を直視しなければならないし、直視しながら撮った作品でもある。

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⚠️この先、ネタバレあります⚠️
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🍎Toxic masculinity
この作品のなかに出てくる男性の言動で1番引っかかりがあったのは、女性の被害意識を軽くあしらうところ。不審者が自宅に侵入して死ぬほど怖い思いをしたのに、その怖さが男性からは『そんな程度のことで騒ぐなんて😅』になっちゃう。いざというときに腕力で勝つことが難しい女性と男性ではリスクの捉え方が決定的に違う。これは女性なら一度や二度は経験したことあるんじゃないかな。

🍎トークレポの伏せ字
前述で伏せ字にしていた『○○の身体に○○がある』は『男性の身体にヴァギナがある』でした。
こんなに感動しない出産シーンがあるのかと、制作スタッフとは別の意味でショックでした。

🍎男性>女性>子ども
牧師さんの言葉が印象的で『男はときに女を殴るものだ。でも罪になるほどではない』。正直、は??とは思ったし、なんで殴ることを正当化してるんだ??と憤慨した。けどふいに母親(父親)→子どもとの関係が思い浮かんだんだよね。子どもの意見に耳を貸さずに『生意気だ』『口答えするな』とねじ伏せたり、ときには躾と称して叩いたり。まるで男性→女性に向ける加害性と似てるなと思って。叩く、殴る、言葉でねじ伏せるのは、自分より立場の弱い他者に対して、アンフェアに自分の言うことを聞かせるための典型的な手段になるので、これらの言動は男性の加害性だけの話じゃなく、人間に備わっている加害性なんじゃないかなって思った。たまに経験する男性→女性の加害思考がずっと分からなかったんだけど、自分のなかで少しだけ謎が解けちゃって、こんな謎を解かなきゃ良かったって後悔してる。

🍎雑記、いろいろ
・攻撃的なのに打たれ弱い男たち…
・女性同士の友情、連帯、助け合い
・友人さん、お腹が妊娠中ぽいよね…??
・フケ顔の少年きついな…
・この村の男に比べたら旦那さんのがマシに思える
・釈放されてなくても夜道怖いでしょうに…

とにかく村の男たちが不快で、どの言動も分かりやすく気味が悪いものだっただけに、個人的には女性にだけピンとくるようなささやかなものを混ぜ込んで、不快指数に強弱をつけてほしかった。

同じ顔をしてるのは、男性特有の台詞『男ってやつは〜』の価値観が根底にあることの現れだと思いました。うまく言えないけど、共通の思考があるから同じ顔で、もしここに先進的な考えの人がいたら同じ顔には見えなかったんじゃないかな。監督の問いでいうと『(同じではないが)みんな同じ(価値観を持っている)ように見えるのか?』に近い解釈です🙌

【だいぶ余談】
社会人になったとき、いわゆる男性社会を覚悟してたけど、あまり男性優位な会社で働いたことないかも。どちらかというと男女関係なく実力主義で、もしろ飲み会ではいわゆる『サラダの取り分け』とか『お酒のお酌』は男性→女性にしてくれるパターンが圧倒的に多くて、都会は紳士的な人が多いなぁ…って思ってる。きっと今まで職場に恵まれてたんだろうな、あざます🍻
さよこ

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