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ロストケアのRのレビュー・感想・評価

ロストケア(2023年製作の映画)
2.4
んーーーーーーーーー🤔 全体の感想から書きますと、非常にビミョーな映画だった。面白くなくはないし、テーマ的には興味深いんやけど。始終眠かった笑 なんでこんなに楽しめへんのやろと考えながら見てて、何となくサブテクストが少なすぎるのが問題な気がした。みんな自分の思ってることとかを雄弁に言葉で語り[れ]すぎやし、映像で伝えたいことも限定的。映像がセリフの言葉の補助的な役割しか担ってないように感じられた。端的に言うと、情報量が少ない。少々似たテーマのPLAN75の方がぜんぜん見応えがあったし、考えさせられた。本作はご丁寧に全部まるまる見せます、ってか聴かせます、って感じ。こっちの方が好きな人がおるのも分かるけどなーんーーー。予告編を見て、お、面白そうやな!と思って見に行くと、それ以上でも以下でもないものが時間延長して味わえます。まず、冒頭、長澤まさみ演じる検事さんが小さなアパートに駆けつけると、室内は散らかりまくってて、孤独死した男が運ばれていくところだった。彼が横たわっていたベッドには無数のウジ虫が。シーンは変わり、長野県にある訪問介護の八賀ケアセンターの職員さん達に話が移る。そのうちのひとり、松山ケンイチ演じる斯波宗典くんは、まだ若いのに口数少なく白髪だらけ、ボケきった年寄りに対してもとても優しく、手厚くケアしてあげてて、家族の人々とのコミュ力も高い。すごいなー、こんな人になりたいなー、と憧れてる新職員もいるほど。ある日、彼らが通うお宅のひとつで、顧客の年寄りと八賀センターの所長、ふたりの遺体が発見される。お金に困りきった所長が深夜盗みに入ったらしいのだが、所長が年寄りを殺したのなら、なぜ所長がそこで死んでるのか、謎である。そのためその疑いが職員の斯波宗典にかけられるのだが……という流れで、そこから謎解きミステリー的なモノが展開するのかと思いきや、ほんまに予告編どおり、斯波の反抗、しかも、42人を殺したのではなく。救ったのです、と主張する。あなたが大切な家族の絆を断ち切っていいはずがない!とブチ切れる検事「絆?何ですかそれは? それがどれだけ家族を苦しめているか……」「あなたがやったことに正義などない!」「あなたみたいに安全地帯から綺麗事を並べる人間が、穴の底を這う人間を余計に苦しめるんです!」「関係ない!」と、こちらすべて予告編から引用してるんやけど、これが本作の内容の大部分で、ほとんどがこの二人のトークに終始。このようなトークシーンが、延々と、ガラスの反射を使ったり、鏡を使ったり、カメラがスーッと横移動したり、これ見よがしにいろんな撮り方されてるんやけど、なんか、いろいろ工夫してやってるのが逆に気になって、話が頭に入ってこなくなったりしたんですよね。長澤まさみも松山ケンイチも演技すごいんやろけど、人間としてあまりにも不自然な雄弁さで延々と言い合いしてる。んー、まぁ役柄的にまさみさんが雄弁なのはまだ分かる。が、斯波さんはこんなに喋り方洗練されてたらおかしくない? 検事さんを余裕で言い負かしてるねんで? そんなことこんな境遇の人にできますか? まぁ42人も殺してるくらいのサイコパスだからできるねんと言いきってしまえるのかもしれないが……しっかし、それ以前にも、このケアセンターだけでそんなにとある数値の偏りが出てたら、明らかにおかしいぞ、何かあるぞって、ならないものなのかな? とか、いろいろと気になる。と同時に、検事さんと検事のお母さんとの関係が描かれ、お母さんはすごく快適な老人ホームで暮らしながら、認知症の症状が進んでいく様子が描かれるんやけど、これもあまりにもテーマに合わせて恣意的に描いてる感が強く、満足いかず。で、斯波の42人目の犠牲者がだれなのか、というミステリーもあるっちゃあるけど、容易に想像できるし、さらにそのあと、なーーーるほどーーーーーそこがそう繋がってくるのかーーー!的な種明かしもあるにはあるんやけど、全体的にダルいので、その頃には1/4くらいどうでもよくなってる。あと、被害者の遺族の描き方も納得いかず。映画が長くなりすぎないようにするためか、最低限で描こうとしてるから、逆に「ついで」感が出てしまって、ドラマ性が削がれてるし、あと、本作最大の争点になるであろうさらなる「ついで」が出てきたときには、え⁈ 何コレ⁈ 逆にサービスですか⁈ と茶化したい気持ちすら湧き上がってきて、いやはやもう何とも……柄本明も入魂の演技をしてるはずなんやけど、なんかくどいんです。とにかく、みんな、喋りすぎ。本心語り過ぎ。あまりにぜんぶ与えてくれるので、考えたり、想像させる余地ゼロ。まぁテーマ自体がそもそも重いから、余地で考えさせるよりすべてフィードするから問題自体を考えて、ってことなのかもしれませんが。僕がひねくれてるのか、逆に思考停止してしまいました。老介護の話とかいまやなんぼでも耳にするし、事件も多いし、ニュースを目にするたびに、何があったのか、どんな問題があったのか、どんな終わりだったのか、どんな人生だったのか、さんざん想像を刺激され慣れてるところに、こんだけ想定内の内容なので、驚きがまったくない。すでに問題提起し直す必要がないくらい問題なのに、この期に及んでさらに問題提起、しかも答えは出さず。リスクを冒してでもなんらかの答え提示してみてほしかったな。個人的には、やっぱ人間って何のために生きるかってのがめちゃくちゃ重要なんだな、というのを改めて感じたくらい。生きてるだけで儲け物、とか、どうせ生きるなら精一杯楽しんで、みたいな刹那主義的な考え方もあるけど、人間って意味を考えたり、感じたり、できてしまうわけじゃないですか。生きることに意味なんてないって考えの人ですら、意味というものを感じてるから、意味がない、と言えるわけじゃないですか。それはつまり意味はあるってことだと思うんですよ。人間の意識とか精神がそれを感じるようにできてるんですもの。人間の意識や精神はこの宇宙から生まれたものなわけでしょう。それは大いなるヒントなんじゃないか。ダークマターとかダークエネルギーとか。人間にとって宇宙の95%はまだ謎なのです。そこには意味の世界が確実にあるはずでしょ。と思わずにはいられない。だから、人間は、生きる意味を、死ぬ意味を、自分という人間を通じて認識できるありとあらゆる現象、自分という人間にしか体験し得ない自分の人生のすべてを、自分にしかない命の使い方を、しっかり考えて、感じて、活かして、生きていくことが答えなんじゃないのか、と思うのです。それでこそ、真の健康が得られるんじゃないでしょうか。そこから目を逸らし、思考をやめて、自分が生きる意味のために自分の命を使うことをやめてしまうからこそ、認知症やらアルツハイマーやらにもなってしまうんじゃないか。遺伝だからしょうがないという話もあるけれど、遺伝されたスイッチのオンオフを入れるのは結局自分である、と言っている遺伝学者も結構たくさんいる。
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