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ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画のRのレビュー・感想・評価

4.7
ジャケに騙されてテロリストのアクション映画を期待して見てはいけません。そんなイメージで見始めた僕は面くらいました。ものすごーーーーく静かに、スローに、じっっっとり、じっくり、人間の心の闇のなかに侵入していく、思索的な映画だった。そういうの期待して見たとしても、さすがにここまでローキーだとは思うまい。最初の20分くらいは説明的要素があまりに少ないので、何の話だか若干理解しにくいので、少しだけ内容を知って見た方が入りやすいと思われます。じわりじわり明らかになるは、中心的人物がテロリストだということ。しかし、我々がイメージする、ハイジャックしてビルに突っ込む的な典型的なテロリストではなく、エコテロリスト、つまり、環境破壊をしている政府や大企業などの建造物やイベント等の破壊工作を企て実行する人たちなのです。主人公たちが冒頭で参加している環境破壊のドキュメンタリー映画上映会で、監督の女性が上映後、前に立ってみんなに言います、我々に必要なのは、大規模な抵抗ではなく、数多くの小さな抵抗である、と。そして、そのような小さな抵抗を自ら計画し、まさに実行にうつさんとする3人のひとりが、主人公ジョシュなのです。前半はあまりにもポーカーフェイスで、味気ないとすら言える役柄に徹しているのが、ジェシーアイゼンバーグ。彼は2人の仲間ディーナとエドワードと共に、ダム爆破計画を立て、実行するための準備を淡々と行っていく。まず、偽のIDをゲットし、中古のボートをそこら辺の名のなき住民から買いつける。次に、何やら危険な薬品を含んでいるらしい農業用の肥料をホームセンターで大量に入手しようとする。なんで肥料なんや?と僕の頭の中がハテナだらけなのは置いといて、危険物を大量に購入するには普通のIDだけではダメで、社会保険番号が必要らしく、いま持ってないんだよねー、とごまかそうとするディーナは、購入できないということに……このあたりから、本作で非常に特徴的な、そこはかとない不安をじわじわ高め、煽るショットが少しずつ現れ始める。特に、ホームセンターで話しかけてくる店員の顔が逆光で見えず、真っ黒なシルエットになっているショットは非常に印象的。まるでその店員さんがこちらの後ろ暗い計画に茫洋と立ち塞がる亡霊のように見え、ディーナが感じている不安がじわり伝わってくる。まぁでもなんだかんだでそれをうまく入手して、計画決行となるのだが、その前に少しだけ描かれる3人の関係性がこれまた非常に示唆的。ジョシュはこの世界のだれからもディスコネクトされていて、感情的に一瞬でも通じ合えると感じられる人間が不在であることがそれとなく伝わってくる。さて、実際の爆破シーンは、暗く、静かで、ゆっっったりと時間をとって描かれる。不協和音に近いアンビエントなサウンドトラックによって、緊張感が強烈に高めれられ、引き返すか、やり通すか、引き返すか、やり通すか、と選択を迫られるとことか、そのあとの道路の検問のシーンとか、めちゃくちゃヒヤヒヤ! みんなが静かで無表情であるがゆえに、逆に張りつめた空気感が強まり、まじでこのへんは息殺して見てた! 後半はガラッと変わって、テロ活のその後の生活への影響が描かれていく。このあたりは昔読んだドストエフスキー『罪と罰』を思わせる胸をえぐるような描写の連続! このテロ活によって、みんなのまったく予測していなかった恐ろしい余波が起こり、それがジョシュの生活の平静をじわじわ蝕んでいく様子が凄まじく、口の中に物理的な苦みを覚えるほどであった。僕は、たまに夢の中でとんでもない犯罪を犯し、その後、生活のあらゆる瞬間、たとえば、だれかがうちを訪ねてきたインターフォンの音を聞いた瞬間、固定電話が鳴った瞬間、通りを歩いていてだれかがこちらに近づいてきた瞬間、そういったときに、まさか自分のしでかしたことがばれ、だれかが自分を捕まえに来るのではないか、という不安が全身を満たしてパラノイア状態になり、その感情がピークに高まった状態で目を覚ます、という経験を何度かしたことがあり、そのたびに、いやー、ほんとに、後ろめたい気持ちに襲われるようなことは何があってもやってはいけないな、と身にしみて感じるのです。そんな感情を思い出す演出が続出。ねちねちねちねち。ほんま怖い。いやーーーーな気持ちをリアルに追体験。しかも、その動揺が、さらに彼らを追い詰めていくプロセスに、息が苦しく、胸が痛くなりました。そして、見終わったあと、本作全体を通して思うのが、正義を追求するってことはたしかに大切なんやけど、破壊工作に走るのではなく、ちゃんとデュープロセスを踏んでやったほうがぜんぜんマシってことっすね。もちろん、それだと永遠に変わらないように感じることもあるのかもしれないけどね。特に本作は、主人公たちがガラケーを使ってたので、インターネットを使って社会運動を繰り広げるみたいなことがまだ想像できなかった時代やからしょうがないのかもしれないが。あと、もう一つ思ったのが、積極的に社会運動を起こすとか参加するとかって、やっぱちょっといわゆる陽キャ的傾向の性格の人でないと難しいのかもしれないな、とういこと。陰キャ的傾向の人たちって、陽キャみたいに不満を外的方向へのエネルギーにシフトするのが苦手なんじゃないかな。発する場所のないネガティブなエネルギーが静かに鬱積し、ある日、匿名性を防御に、不特定多数に向けて爆発させてしまう。そんなことがそこそこ起こってたりするのではないだろうか。よって、そういった性格的傾向を持った人が、どんなマイノリティーとも同じように当たり前に受け入れられ、そのエネルギーをほかの仲間たちと共有でき、魂の叫びを現実的な変革に向けて適切に拡大できる、そういう何らかの社会的プラットフォームを築いていくための智慧を発揮していかないといけないんだろうな、と思いました。少なくとも、そういう社会的ムードを醸成していく一員にはならなければならないんだろうな、と。とはいえ、日本人て世界的に見ると、8、9割が陰キャ的傾向の性格で、ほんとはそっちの方がマジョリティーなんやけどね。まぁ何と言っても、いまの社会がきれいなのは表面上だけで、ものすごく風通しが悪い。インターネット空間にしても、エコーチェンバーにフィルターバブルで、ますます風通しが悪い。何はなくとも、日々の生活の風通しを良くし、爽快で溌剌に暮らせる工夫を心掛けたいものである。そんなことを見ながら感じていました。ジワジワ静かな映画が好きな人にはかなりプッシュできる作品やと思います。是非!!!
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