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長ぐつをはいたネコと9つの命のroppuのレビュー・感想・評価

4.2
『長ぐつをはいたねこ』シリーズどころか、『シュレック』シリーズを観たことがない中、『シュレック』ヲタクの友人がこれを観ろというので映画館へ足を運ぶ。

なるほどこれは面白い。アニメーションのテクニカルなところは、あまり分からないが、テーマとキャラクタ設定がとにかく良い。

猫は怖いもの知らずのレジェンドと呼ばれ、村の人々から得る称賛や尊敬によって、その人格と生の意味を獲得するわけだが、これはいわゆる家父長制度の男性性である。これが、カメラが回っていないところでは孤独となり、観客、他者の前に出るときには、強さやリーダーシップを強調する。結構わかりやすいんだが、九回目の命を懸けた猫対死でやるから凝ってる。
彼の最後の願いは延々とそれでも増強させたい力、尊敬、命であるのに対して、内在する複数のエゴ、葛藤、それがデスドライブと化する二項対立が面白い。
その元パートナーは男性不信や社会構造への反発として、唯一の願いは信頼できる他者なのだという、ここについてはフェミニズム的なパラドクスだと言えるのかもしれないが、僕にはその声がない。

個人的な想いとして、今回の見どころは猫のフリをする犬なのである。この犬には名前はない、性別も二元性に囚われない。ただ、家族という共同体の経験を失った、誰とも絆を結んでこなかったから、誰とでも仲良くなれる、純粋な精神。この犬が鍵となって、欲に埋もれた猫たちどころか、敵対する欲望、権力たちの境界線を埋めていこうとする。ドリームワークスが、クイアという概念を持ち込んだのである。
ピンクウォッシュと言われる資本主義に対したアンチテーゼがあるが、この作品に関して言えば、確かにレインボー、パステルカラー、他者を装う着ぐるみだとか、記号的にはよく当て込められてはいるが、許容範囲、ポップスターがいう平等より刺さる、ここで泣きが入る。

ライバルのキャラクター設定も面白い。
クマの家族たちは人間の孤児を持つ、人間である子どもの願いは家族にとっては最も残酷な、しかし子どものためになんとかみんなで猫を追いかける。
イングリッシュでやったのが個人的には説得力がある。元恋人がイングリッシュだったこともあるけど、父母親の関係性、兄妹の関係性、ちょっとステレオタイプ過ぎる気もする。

または、力を増幅しようとする権力者というキャラクターは物や人を周りに置くことによって自己のアイデンティティを確立しようとするが、彼もまたストリートパフォーマーから来たらしいのである。そこに示される記号は、他者の存在しない自己、他者に認識されない自己から来ているのであった。その問題が導き出した答えは強い劣等感、失望、他者を尊敬できない精神、それは虚構と化した武器と市民を使って、欲望を増幅しようとする機械化した権力者となる。それを止めようとする判事は権力に飲み込まれ死んでいく市民を見て、「ただの悪い奴らだ」と言う。権力を止めるのは判事や法に長けた人たちではないのだ。

という、子ども向けでありながら、ステレオタイプたっぷりを捉えた映画。収まるのは伝統的な家族価値でないという、いかにも政治とは切り離せないテーマ。

しかし、生を描くために別のベクトルで働く死そのものの描き方が恐ろしすぎるわ!
あと、血とか平気で描いて良くなったんやなあ。
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