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CLOSE/クロースのroppuのネタバレレビュー・内容・結末

CLOSE/クロース(2022年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

少年たちは概念を育んでしまう前から親近だったが、学校教育システムへ進んだことがきっかけで、他者からの視線、他者からの言動に敏感になっていく。一方はいつもの「僕たち」を好きなのだが、もう一方はより個人化した「俺」になる。そして前者は内側と外側の差に敏感で死を選び、後者はその結果を自分の責任として受け取るほかなかった。こんなにたくさんの大人がいるのに話し合える人は多くなかった。

いつもの場所で戦争ごっこするやんちゃさも、大自然を一生懸命に走ると息が切れる肺の運動も、ベッドで横になって互い同士を一つの自己認識として確かめ合う優しさも、学校という組織理論によって破壊される。
それ自体はおよそ殆どの思春期の少年少女が無意識に反応する成長過程であると思うのだが、そこから学校教育や共同体としての家族関係の話、残された少年の責任意識、そしてそれを助けるのがマチョイズム的なスポーツへと繋がっていく様がまあ泣ける。
一体誰がこの少年を責めるだろう。しかし、残された母親の想いは報われない。

僕も小学生一年生くらいから自分の性の意識には敏感で、女の子の服を着るとオカマだとか言われ、男の子たちといると無理して「俺たち」を偽ろうとする自分にもがいた。心の拠り所は家庭にも学校にもなく、責任問題を内在化し、システムを肯定する日々が日本で長く続いた。ベルリンに来てからもあのときの世界への諦め、自己認識の否定がなかなか治らない。

そう思い返してみると、この年の子どもたちの成長過程のジェンダーオリエンテーションについて描いた作品はこれまで多くなかったのだろうと思う。個人的にここまで当時のジェンダーの記憶を引き起こさせた映画体験はない。ものすごく悔しくて、やるせない気持ち。
舞台はフランスであるが、個人の内在性と社会との差がざらざらして死にたくなったあの気持ち。

死はそれが当人に訪れると以降当事者の所有外の話になる。ほとんど同化しきってしまうほど親近だった少年たちは半分に分裂し、肉体が半分なくなった残った少年はその行方を自分に探す。

アイスホッケーが導くアドレナリンと、今目の前にある友人とで過去は忘れようとする。
どうやら探していた対象は少年の内側にも、新しく育もうとする関係性にもなかったらしい。死を経験した人の想いは残された人との交流の中で、失った人の輪郭を確かめるように見つかる。
しかし、輪郭が見つかろうとした、手を繫ぎあったその直後、もう一方の個人はその想いに耐えられないで消えていく。現実があまりに残酷過ぎて結構落ち込む。
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