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ソウルに帰るのroppuのレビュー・感想・評価

ソウルに帰る(2022年製作の映画)
3.6
アイデンティティポリティクスが議論される現代の、現代的な作品。

朝鮮戦争がきっかけで孤児になった女性はフランス人として人生を送っていたが、とあるきっかけで生まれた韓国の都市ソウルに到着する。
人を辿るうちに、官僚システム化された社会によって、生まれ家族との交流はすぐにできたが、彼女にとってむしろそれは新しい自分と出会うような感覚なのである。
育った家族を否定してしまうような圧力、育った国の文化だけを肯定するような責任感、海外孤児事案だけでなく、難民や強制労働によって連れてこられた人々のアイデンティティのストラグル、これに似た圧力が起きている。

個人の尊厳を絶対とする西ヨーロッパの文化と、全体性の空気に合わせようとする東アジア文化の対比、観客の反応は置いといて、監督はこれをどのように映しただろうか。

両国間の会話交流の文化の差に興味を持ちながらも葛藤する。官僚化した労働者の様子を外国人として、傍観する。

しかし内と外を行き来して傍観すると、機械化する労働者のうちにも、最も人間的な性質を確認できるのだった、優しくて涙がでる。

彼女の希望的答えは心の音楽的な流動性。そして、カオスを求めながら、静寂なものに還る反復的な運動性。それは、「あなたはとても悲しい人だ」と言われても、「ここがあなたのホームなのだよ」と言われても、当事者にしかわからないアイデンティティポリティクス。


しかし、結局西側的な映画なのだろうなと思うのは、彼女が、武器関係の仕事に就いているという辺りで、北から南を守る仕事をしているというところである。朝鮮半島の人々は、互いに独立したわけでなく強引に引き離されたのでなかったか。

米国率いるNATOの軍事費、基地配置戦略などを考慮すると、強制労働者として連れてこられた在日韓国人、朝鮮人、または韓国、北朝鮮に在住の人たちの内にも強引に南北分断された心はある。保証も認識もされない人々の心は汲まないからそんなふうなジョークが言えるのかなと疑問する。
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