耶馬英彦

逆転のトライアングルの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

逆転のトライアングル(2022年製作の映画)
4.0
 序盤はファッション業界の権威主義と拝金主義が描かれる。そこから、男女のモデル同士のマウンティング争いのシーンまで、なんとも低レベルの人間性が剥き出しで、なんだか気持ちが悪くなる。しかし後半になると、どうして最初のシーンが必要だったのかが分かる。
 高額のブランドの衣服や腕時計やアクセサリは金持ちのステータスシンボルだ。確かに高額のブランドの商品は品質も優れている。しかしある程度以上からは品質はそんなに変わらない。変わるのはブランド価値だけだ。ブランドは創造された相対的な価値観である。経済と結びついていちいち高額に設定することで、経済力を誇示したい金持ちの欲求に応える。要するにどちらも拝金主義である。
 世界は拝金主義者がヒエラルキーの上位にいて、ブランドやそのデザイナーは彼らに支えられているという共依存の構図がある。それは即ち格差の構図でもある。その格差は次のステージである豪華客船にそのまま持ち込まれる。

 嵐の夜のキャプテンディナーが本作品の最初のヤマ場だ。金持ちなのに金持ちが嫌いな船長が夕食で客をもてなす訳だが、嵐が想定を遥かに超えて、客は船酔いでフラフラになり、船は汚物まみれになる。そんな中で、金持ち代表のロシア人と斜に構えた船長との政治談義が盛り上がる。スラップスティックの極地で、底抜けのドタバタ喜劇がケッサクだ。

 原題は「Triangle of Sadness」である。つまり悲しみの三角形だ。三角形はいわゆるヒエラルキー、つまり格差社会を指しているから、邦題の「逆転のトライアングル」は文字通り格差の逆転だ。トイレ掃除のチーフが豪華客船では一番下の地位だとされていた訳だ。
 金持ち代表のロシア人が原始共産制を語るのが皮肉だったが、物語はその通りに進んでいく。原始社会のヒエラルキーだ。つまり食料を調達する人間が組織の頂点に立つ。そして実はそこからが本作品の最重要な展開で、ヒエラルキーの頂点に達した者は、自分の欲望を満たすことに躊躇がなく、どこまでも自分の立場を維持しようとするのだ。イエスマンを従えて、反抗する者たちを排除する。ラストシーンは必然である。

 荒唐無稽な物語のように見えるが、前作「ザ・スクエア」と同じく、オストルンド監督の綿密な計算によってシーンが積み上げられて、人間社会の本質を、デフォルメされた物語によって上手に描き出している。ものまね芸人が特徴を極端に強調することでその人が誰なのかがすぐに理解できるようにするのと同じだ。まさに職人芸のような作品である。
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