アキ

タイタニック 3Dのアキのレビュー・感想・評価

タイタニック 3D(2012年製作の映画)
4.1
オリジナルぶりの歳月を経て変わってしまった。
何がってレオナルドディカプリオその人だろう。
バスケットボールダイアリーズ、太陽と月に背いて、マイルーム、ロミオ+ジュリエットなど、 1990年代のディカプリオは嫌味なほどの二枚目、ソフトな優男として登場することが多かった。 手に乗った桜の花びらが風に誘われひらひらゆらゆら舞うがごとくの繊細な心、華奢な体、女性のようなサラサラブロンドを特徴としていた。 タイタニックのあるシーンでローズをモデルに絵を書くあのブルーで切れ長のなまなざしは稀代の魔術である。 発する悲哀が人を引き寄せ、憂いの瞳がグイと母性をくすぐる。 そして心をギュッと鷲掴みにされる。

だが、現状のディカプリオを見てどうか。 髪はサラサラとは程遠く、顔はやや肥えてぷっくり、ボディには繊細とは無縁の暴発が宿り、 それが表情のざらつきを創出する。 顎には無数の無精ひげ、瞳にはたぎる力強い志向する意識がギラギラ何かを主張する。
悲哀と憂い?
まさか。
現状のディカプリオを構成するのはワイルド、クレイジー、エネルギッシュ、時に暴風のように全てをなぎ倒すがごとくの粗っぽさとそこから派生したる渋みを垣間見せる。
だがそれがいい。
幾年の歳月は役者ディカプリオを大きく変化させたのは間違いない。 ディパーテッド、ブラッドダイヤモンド、ワールドオブライズで派手なアクションに挑んだかと思えば、レボリュショナリーロード、アビエイター、Jエドガーなどではじわりと内奥からにじみ出てくる個々の人間味を技巧的にこなす。 そしてやはり何かをギュッと鷲掴みにされるのは90年代同様。 しかしその因は90年代を覆っていたイチゴ味のフェロモンによるものではない。 いわば鋼鉄の意思と野性味あふれた否応なしの無形の圧力によるものだ。 それが我々の心を掴んで握ってねじふせる。 ディカプリオは間違いなくホンモノの男を演じきれるハリウッドを代表する役者の一人と言えるだろう。

ところでケイトなのだけども。
97年に初めて見たときはどうして彼女を旬のディカプリオに対置させたのだろうと首を横にひねったものだ。
特に美人であるとは思えない。
いやむしろこれは非常に失礼なことなのかもしれないけど、、あれ?結構太ってる?
赤いドレスのソデから伸びたる丸太のような二の腕が非常に暴力的だ。
着飾る高価で豪華な色とりどりの衣服の数々がケイトの魅力を打ち消し、着ているのではなく 着させられている感。
赤毛を振り見出し、天真爛漫な表情でお転婆を演じる姿はどうあってもディカプリオと相対する魅力を感じないわけである。
だが久方ぶりに観て思ったことは、それはどうも製作陣の計算だったのではないか、ということで丸太のような腕も、粗野な身振りも手振りも、ともすればタプタプしかけの緊張感のかけらもない顎も全てタイタニックのローズを演じるうえで必要な要素だったのではないか。 ジャックに手をひかれ、一答客船から三等客船へと赤毛を乱し楽しそうに重そうに移動しているその様。 客船から海へと向かって唾を吐き捨てる下品、しかし不思議と画にはなっている様態。 3等客船にて大きな体をどたばたと揺らしてダンスをし、親指立ちにて皆を驚かせようとはしたもののそれが出来ず、にんまり顔を歪ませはにかむ表情。
エミリーブラウニングには出来まい。
キャリーマリガンには出来まい。
ミシェルウイリアムズには出来まい。
当時はディカプリオとケイトの恋愛模様の一転集中で見ていたところもあったので、どうもその男女のバランスが悪いなと思ったものだが、いやはや時の経過はこちらの見る眼も変化させてくれるものですな。

実際のところ、確かにタイタニックは恋愛映画である。
身分違いを乗り越えその他あらゆる障害をひょいと交わしながら恋心を温めていく。
しかし同時に、いやそれ以上に真に迫って感じられたのは人間模様の描き方だろうか。
タイタニック号が氷山にぶつかりいよいよ海面に垂直に沈没していく段にあって、人それぞれの性格が如実に露呈されていく。
ある者は船とともに命を投げ出す、ある者はプロ意識を曲げず最後まで音楽を奏でみなの緊張を解きほぐそうとする。
一方である者は下卑た作法にて我先に小舟に乗り込もうとする。
あるいは海に投げ出された数千の人を助けるべきだ、空きはまだあるではないかと述べたキャシーベイツに対し、それは否、仮にその数千がこの小型の船に乗り込んでこようとすれば我らもどうなるものか分かったもんじゃない、だから救助には向かわないと残酷に冷酷に述べる船員。
恋愛映画としてのタイタニックが独り歩きしているようでもあるけど、しかし所々に人間性の歪な発露を皮肉っているキャメロン監督の眼差しも感じられて、さすがは歴代興行収入NO2なだけのことはあるなと感じた次第であります。

さて
蛇足1
これは悲劇的事態なのではあるが、
船首に立つケイトをディカプリオが後ろから支え広がる海洋を前に鳥のように腕を広げる有名なシーンを見て、残念なことにロマンテックはもはや感じないよね、むしろ足元はグラグラしておぼつかないし、手すりも見れば腰の位置までしかないし、危険だし風邪ひくから早く船内に戻った方がいいようなどと考えてしまうよね おっさんだよねぇ

蛇足2
洋楽はさっぱり分からぬ僕であってもセリーヌディオンのマイ・ハート・ウィル・ゴー・オンは知っているわけなんだが、タイタニックを代表するこの曲を聴かずして場内見ていたほとんどの人が帰って行ったというのはどういうことだろうか。 もしかしてセリーヌディオン=マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン=タイタニックの代名詞=聞かなければいけない。の方程式は若人の間では存在しないのだろうか。。
んなアホな。
アキ

アキ