♪ あー限界だ 今にもちぎれそうに繋がった糸
言葉も失って落ちてく落ちてゆくデカダンス
映画は基本的に虚構です。
なので、存在や理由を疑わせる展開はダメだと思います(勿論、それを狙った演出を除きます)。
本作で言えば。
何故、テレビ塔に登るのか。
何故、テレビ塔から降りれないのか。
何故、そんな危険なテレビ塔が存在するのか。
明確な回答はなくても、それらを考えさせないようにするのが演出(あるいは脚本)の技術。
ちなみに寡聞にして後から知りましたけど。
本作の舞台となったテレビ塔はモデルがあるんですね。今でも稼働中みたいなので、メンテナンスは行っているんでしょうが、それにしても維持管理が大変ですよね。すごいなあ。
閑話休題。
で、本作は“存在”や“理由”の説得力があったのか…ですけども。結論から言って「ありません」でした。というか「そもそも説得力なんて要らない」が正解だと思います。
何しろ、配役からして違いますからね。
主人公の二人とも「ファイト!」「一発!」と言いたくなるようなロッククライミングを行う女性には見えず。どちらかと言えば、ボインでプリンな感じを重要視した感じ。
確かに鉄塔の上だとビジュアル的に変化が付け辛いですからね。ボインでプリンな感じで観客の好奇心を牽引するのは真っ当な戦略です。
が。
それも主人公たちに感情移入できてこそ、の話。
少なくとも、彼女たちの背景に説得力がないですからね。特に終盤の“あっさりさ”は悪手(というか、製作者が説得力を重要視していない証左)。
まあ、そんなわけで。
製作者の“狙い”は分かるものの、それがクオリティに結び付いていないのが残念な作品。アタマを空っぽにするが吉なので“疑った”時点で終了です。
この辺りを上手くクリアしたのが『127時間』。
「なんで?」と思わせる隙が無いし、最初から最後まで、主人公の造形も含めて“必然”しかないんですよ。すごいなあ。