Nasagi

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしいのNasagiのレビュー・感想・評価

4.0
ぬいぐるみサークルのルールその1、部員がぬいぐるみにしている話を聞かない。
ぬいぐるみサークルのルールその2、ぬいぐるみを大切に。

いいですね、ぬいサー。このちょっと怪しいけどどこかにありそうな感じ。
思いのままにぬいぐるみに感情を吐露しておいて、後でそのぬいぐるみを甲斐甲斐しくブラッシングする(それによってぶつけた自分の感情ごとアフターケアする)、みたいなのがすこし不気味で、でもめちゃくちゃ興味深かった。

起きていること自体は、大学生の日常の域を出ないものだけれど、なかなかに多様なテーマを緻密に扱っていて、原作と合わせてとても良い作品だとおもう。

繊細な人たちが、落ち込めるままに落ち込める、それでいて変わらないでいられるぬいサーという場所は、どこかモラトリアムの象徴のようだった。
個人的には、鱈山さんの姿がひきこもっていた頃の自分とそっくりなような気がして、妙に親近感を覚えながら観ていた。

もちろん、外の社会に出てからも、「ふつうの人」に擬態しながら、ぬいぐるみと話しつづけることはできる。
時には立ち止まってじっくり考えたり、落ち込めるだけ落ち込むときも必要だろう。ただずっとそれを続けていては、病んでしまう。

ぬいぐるみに依存的になってはいけなくて、ほどよく話すのが一番なのではないかと思った。

また作中で、あるマイノリティの当事者である人物が、属性で人のことを判断せず、個人として接してくれるぬいサーのような場所は「マシ」だと言いつつも、あとのシーンで「でも、やさしさと無関心は似ている」という話をしてた。
ここは原作ではちがう人物のセリフなのだが、映画版の方がよりしっくり来る人選だなと思う。

やはり、ぬいサーって、良くも悪くも、社会からの(一時的な)避難所なんだろう。
個人的には、こういう場所がもっと社会に増えたらいいなと思っているし、なんなら自分が増やしていきたいと思ってもいる。
でも、この避難所がそのままでもっと永続的な居場所になれるかというと、そうでもないよなっていう。
そもそも、こんな避難所が必要ないくらい、社会がよい場所になればいいのだが…
それが実現可能かどうかで、七森と白城の見解が分かれているということなのだろう。

そういえば白城という人の描かれ方は、原作より映画版の方が良いとおもった。
原作の方の白城は、なんだか切ないというか、七森とは違う人間でありながら、七森に振り回されている気がした。
映画版の方が、所々の描写で、白城と七森との違い・溝がより強調されているように感じた。
またその分、白城と麦戸、あるいはぬいサーの女性部員同士のつながりが濃く描かれていた。
白城は、ぬいサーの中にいて、無関心と裏表のやさしさや、
あるいは七森と麦戸のような、自他の境界線をあいまいにするやさしさに、
違和感を覚えていた。が、それでいて、困っている人にいち早く気づいて、自ら行動を起こせる人としても描かれていた。そこらへんが、彼女のおもしろいところである。


余談…さいきん仕事が落ち着いていることもあって、ひさしぶりに手書きのノートに色々メモをとりながら映画や小説を何日もかけて分析する、ということができたのが今作だった。
それは良かったのだが、原作でも映画でも「だいじょうぶ」というセリフが多用されることもあって、ファンでもないのに気がついたらヒルクライムが脳内で爆音リピート再生されていた。世代の力ってこわい…
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