Nasagi

プリズン・サークルのNasagiのレビュー・感想・評価

プリズン・サークル(2019年製作の映画)
4.0
〜4/8 17:59までオンライン配信中

劇場公開は逃したものの、今観られてよかった。
お噂はかねがね。←使い方合ってるか?

日本国内で唯一とされる刑務所内TC(治療共同体)の姿。

罪を犯した者たちが輪になって、お互いに語りあい、分析しあいながら、「なぜ自分はやってしまったのか」という問いに向き合っていく。
話が深まるなかで、幼少期の虐待、いじめの経験などといった、これまで本人の口から語られることのなかった、あるいは(記憶を抑圧していたせいで)そもそも認識すらしていなかったことが、言葉という形をとる。

感想を一言でいうのがむずかしい。
「こういう場所が必要だ」と思う一方で、
「でもここは一時的な場所にすぎない」とも思う。

ここでは自分が犯した罪への「向き合えなさ」「実感のわかなさ」を正直に語れるからこそ、逆説的に、彼らはやがて罪に向き合えるようになっていく。
あるいは、将来に対するとまどいを素直に口にするという段階を経てこそ、やがて「将来の目標」を語れるようになる。
そうした「急がば回れ」が許されるこの空間は、参加者たちにとってSafeな居場所になっていると感じた。

しかし、TCの限られた期間が終わったあとは、あるいは刑務所を出たあとは、そういった感情をもつことは許されなくなる。
元TC参加者たちが出所後に集まる会合をみて、ここはすごく「まとも」だけど、まともだからこそ、「自分が何をやりたいか正直わからない」とかいった戸惑いの語りはもう許容されなくなっているのだと感じた。

「悩めるTC参加者」でいることを許されるのはあくまで一時的なものであって、それを終えるまでには、自分の生育歴とか親との関係とか、虐待のトラウマといったものにまで、折り合いがつけられていなければならない。
そこにはやはり無理もあるのではないか、と思った。
(もちろんプログラムの性質上、そして被害者のために「更生」はしてもらわないといけないのだが)

受刑者とはちがうが、自分も元ひきこもりの人の当事者団体には関わっていて、今回この映画をみながら、受刑者もひきこもりも、世間的に「社会復帰」を目標とされるという意味ではなんか共通しているなあと考えていた。
しかしまあ、自分の根底にある問題とか、いわゆる「生きづらさ」みたいなもんは、往々にして社会復帰したからといってすぐに解決したりはしない。
そういうのとはなんだかんだ一生付き合っていかなくてはならないし、それを見据えて語り合える居場所が、社会の「中」にこそ必要なのだとおもっている。


メモ:
罪に対して向き合うことと、それを償うことのちがい?
加害者にとっての償いと被害者が考える償いと社会的な償いのちがい?
自分の問題に向き合うことと、それを解決することと、また解消することとのちがい
Nasagi

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