田島史也

正欲の田島史也のレビュー・感想・評価

正欲(2023年製作の映画)
4.3
世に蔓延る商業主義的お涙頂戴インスタント映画とは訳が違う。心に直接触れてくるような感覚。観客それぞれの価値観に基づいて、誰に同情するもしないも自由なのである。作品はただ不条理な世界を与えるに留まった。思えば、「誰が何を思おうが自由」というのは、観客に向けられた言葉でもあったのだろう。
初めの数分を本当に丁寧に描写し、この世界を観客に提示し、受け入れる姿勢を示したことで、安心して没入することが出来た。この世界の登場人物は、それぞれが確かな価値観を持ち、それぞれの指向を持つ。この世界で正欲とされるものを享受できない者たちが、それでもこの世界で生きていくために身を寄せあい慎ましく生きようとする。それぞれの人物の物語がそこにはあり、認め合い否定し合う人々の剥き出しの感情が描かれる。
この物語の結末は決してメロドラマ的なハッピーエンドでは無い。稲垣吾郎が、周りの環境と自らの信条との折り合いをつけられず悩み、自分を守るために追い詰められていく。彼にとっては、普通であることが自分を肯定し守るための唯一の方法となっていた。そして、新垣結衣の磯村勇斗を想う「いなくならないよ」という普通で美しい発言を、稲垣吾郎の凝り固まった価値観における普通でない人が発したことで、自分を守っていた「普通」という価値観がいっせいに崩れていく。そして、実は自分自身が普通ではなかったのかもしれない、とはっとさせられる。決定的に稲垣吾郎の中で何かが崩れると共に、取り調べ室の扉が閉まり、物語は幕を下ろす。
ハッピーエンドでもバッドエンドでもない。でも確かに何かが変わろうとした瞬間に物語は終わりを迎えるのである。そこにこの作品の一貫性や誠意が感じとれるように思う。この類のお話に、正解も不正解もない。だからこそ誰かを肯定するような終わり方であってはいけないのだ。本作はその点について非常に紳士的な立ち振る舞いを見せ、この上ない満足感を観客に与えることに成功している。

今年見た作品の中でも本当に好きな作品。私自身の価値観ともかなり近く、納得感が凄い。効果的な水の音も、劇場で観たからこそ味わえたもの。是非劇場で観ることをおすすめしたい。

映像0.8,音声0.9,ストーリー1,俳優0.8,その他0.8
田島史也

田島史也