たらこパスタ

エドワード・ヤンの恋愛時代 4K レストア版のたらこパスタのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

冒頭で言及されている物質的な豊かさを得たあとの人々。この映画が作られて30年近くが経っているけれど、描かれている苦悩や葛藤・虚無感は切実に身に覚えがあるものだと思いました。
板挟みになり身動きが取れない状況で、いろんなフリを用いて先の見えない試行錯誤をしていくなんて嫌になってしまうと思う全く。
板挟みで苦悩するという点では特にチチとミンの姿が印象的で、上司に仕向けられていたとはいえ事実上同僚が自分のせいで解雇されるとかトラウマでしょう…クラブで踊るリーレンたちや他の人たちをどこか蚊帳の外で見ているミン、いつもそういうポジションでフラストレーションを貯めていたのだろうか....
あと義兄の交通事故への病的な恐れとか極端な思考に陥ってしまう部分は自分もそういう傾向があり悩んだことがあったので他人事と思なかったです、元気になって生き生きとしてきて嬉しかった…!し生き生きしていく過程に勝手に元気をもらっていた、ありがとうございます義兄さん🙏
アキンがいう「寂しいんだ」って他の人たちは口に出さなかったけど蔓延している苦悩の根源の一つという感じがしました。2人組でフレーム内を片方が去ってしまった後のもう片方、というときが比較的多かったような気がして、寂しさと満たされなさを感じました。
あと、モーリーのお姉さんのテレビ番組で、「1時間で1週間の幸せを」という締めの決め台詞(?)が出てくるのですが、早い速度でたくさんのものが消費される時流につきまとう空虚さを感じるとともに、お姉さんが義兄に語った番組を作成した思い、そしてその後の義兄の指摘も同時に真実で、この複合し拗れてしまう意見の混在ははっとさせられるセリフでした。
義兄の言ってる内容て、どうしても片方が真実ならその反対は嘘!という認知が世界の大きさを狭めて絶望に追い込んでゆく感じがした。この描写によって、あらゆるものに値段をつけることが可能になりすごい速度で人気や需要が変化していく結果、そこに本来あるはずのグラデーションとか複雑性をわざわざ拾う手間をかけることが難しくなる背景が浮かび上がってくるように思う。本当にこれは現代社会でも直面する絶望感の一つにかなりあると思いました

必死に苦悩・葛藤しすれ違いもつれる様子は当人たちから近い距離で観たら深刻であることは間違いないのですが、遠目から見るとどうもおかしみがあって独特の軽快さがあると思いました!

この映画には予期せず訪れる陶酔するような瞬間、刹那的な幸福感があると感じます。そういう瞬間がとてつもない説得力の画とともに登場人物たちの苦痛を無効化してくれるような錯覚すら抱いてしまう...フォンが軽々と乗り越えて側転していった先の空間にミンが引き寄せられ少しだけ会話をした夜、プールサイドでピクニックする夜、とても美しかった!

矛盾する言動やシチュエーションや場所などが同じ条件下で対比するような状況を重ねる構成が面白くて人物たちの多面性・フリの印象を増幅させていたように感じます。最初の方で、オフィスでモーリーとラリーが話した経営に関することと、その後車の中で話したプライベートに関する内容は主導権も話の内容も反転していて、場所依存する言動ってあるよなぁと思ったと同時に即矛盾する様子がおかしさもあった。

モーリーだったかな、「台北は広い」と「台北は狭い」というセリフどっちも言うのですが本当にその通りだと思った。というのも、観えているところの限りはたしかにあっという間に噂が広がるし、偶然人物同士が繋がったりする狭さを感じさせる。それと同時に観えないところでのドラマの広がりがとても豊かで広いように思えてくるんです。大きく分けて広がりを感じる瞬間が二つあり、一つはあるカットの中で物理的に写っていない部分の広がりを常に想像させられるとき。そしてもう一つはあるシーンが終わる時にその後のドラマに繋がりそうな萌芽を残したまま終わる点で、ある人物が中心のシーンでもまた別の場所ではさまざまな人たちのドラマが同時に走っていることが拡張されて認識していくような感じに思いました。台北に限らず都市ってこういう狭くて広いイメージがあります。

閉じた空間のシーンがどれも面白かったです。
日常の中で少人数で対峙せざるを得ない密室になってしまう空間って考えてみると作中に出てきたタクシーとエレベーターくらいしか思いつかないかもしれない、日常にあんまり多くない気がする。

変化を経てまた出会い直せる、希望のある終わり方だと感じます、とても好きな映画です!
たらこパスタ

たらこパスタ