ケーティー

零落のケーティーのレビュー・感想・評価

零落(2023年製作の映画)
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演劇と映像のセリフ回しの違い


商業演劇でも活躍する劇作家・倉持裕さんが脚本を担当する本作。雑誌に脚本が掲載されていたので、読んでから鑑賞した。

倉持さんの作品と言えば、戯曲でもシュールな笑いが面白い印象だが、それは本作でも随所にある。
自分を妨害しないとわかって、思わず元アシスタントが本音をもらすシーンや、結局何もわかっていないファンの自分語りなど、本人たちは深刻だが、それをひいた視点で観察して、シニカルさと笑いを感じさせるのは、倉持さんならではだろう。
また、モブ役で出てくるデリヘル嬢もそれぞれ個性があり、面白い。

しかし、劇作家ならではのクセが、欠点として出ているようにも感じた。特に序盤は、演劇のセリフになっており、それぞれの人物が好き勝手に自分の主張だけ話しており、人物の会話の絡み合いがない。もっと短く切ったほうがいいところもあるし、映像作品は、自分が話すよりも、相手が相手のことを話すシーンが面白くなったり、いい味を出すのだが、そういうセリフ術がない。
おそらく、大劇場などなら、このセリフがぼーんと鳴り響いて、いいなとなるだろうなと思わせるシーンも、映像だと、前後の会話のセリフの切り取り方がうまくいってないのも相まって、間延びしてしまうのである。

しかし、ちふゆが出てくるとシーンは弾む。
おそらくここは、普段の舞台でできないことをやっていて、作者自身もそのことを自覚しながら楽しく書いてるから、そのテンションが伝わってくる、そんな気がした。
演劇の作品や、あるいは、村上春樹の小説の登場人物のような観念的なセリフもいい。

本作の脚本は、もう一つ問題があって、脚本で演出やシーンの構成があまり書かれていない。この場合、演出任せとなり、それがうまくいけばいいのだが、本作は演出の出来不出来でシーンに差がある感じがした。
また、本作はモノローグも多いが、今回の発見は、モノローグこそ、セリフで聞かせるように見せかけて、実は、そのシーンで見せる演出が重要だということである。これも、序盤はいまいちだが、後半などはいいシーンもあり、差があった。

このように書くと、演出の粗が目立ったような書き方になってしまったが、もちろん、脚本から演出の改変でよくなっているシーンもあって、ベタだが、終盤で半ば無理やり性行為をした後、着替えながら会話するシーンは、女性も男性も裸より、男が着替えながら話したほうが利己的な感じや冷たさが出ていいなと思った。