ケーティー

竜とそばかすの姫のケーティーのレビュー・感想・評価

竜とそばかすの姫(2021年製作の映画)
-
ポピュリズムの肯定とも受け取られかねない作品?
入り口の問題設定は極めて現代的だったのだが……


劇場で観ていて、観客が一番注目していたシーンは序盤の炎上シーンだった。他人の小さな女の子を救うため、自ら川に飛び込み、自分の子どもを残して女性が死んでしまう……。すると、ネット上では、その女性のことを悲しむのではなく、「泳ぎの能力を過信したのでは?」や「子どもがいるのにそんなことをするのは無責任だ」と非難の声が殺到するのである。まるで、非難することが正義かのように……。

このネットで、合意形成がされ、本当に正しいことなのか検証されないまま、都合よく正義が作られる昨今のポピュリズム的な風潮に本作はどう挑むのかと期待が高まった。それは、自分だけでなく、世間でも注目される論点だから、少なくとも私の観た劇場でも、観客の関心が集まったのだろう。

しかし、結論から言うと、本作はその期待に応えなかった……。主人公の歌がラストで世界を変え、それまでの正義を転覆させるが、これは主人公の愛が伝わったいいシーンととれる一方で、実は先の炎上のロジックと変わらないポピュリズム的な危うさを内包している。歌で、それまでの正義を一瞬で否定し、人を変えてしまうからだ。本作のいわば敵役は、ディズニー作品のような明確な犯罪者ではなく、主人公の歌で支援者が一瞬でいなくなってしまうことを肯定することは、どうしても何か素直にいいねと言いきれない部分がある……。

こうした歌姫が世界を変えるというラストのテイスト、高校生の恋愛描写(不良好きや同級生の嫉妬の描写など)など、どこか古い価値観で作られている感じが拭えず、ならばいっそこれはクラシックですよとやってくれればよかった。しかし、所々に陰キャやアバターなどを出して、おじさんの現代をわかってますよアピールが入るので、かえって、この作品の古さや欠陥が目立ってしまった。

また、美女と野獣のパロディ(絵を元の作品からほぼ引用するコント的展開)、「パプリカ」と似た色彩感(映画を観た後知ったのだが、これは「パプリカ」を始め今敏監督作品の全作で美術監督を務めた池信孝さんが本作の美術監督も担当している)など、絵的にもストーリー的にも過去の名作の引用を組み合わせて作っている感があるが、それをコント的な諧謔で見せるわけでもなく、かといって現代の斬新な解釈やメッセージを付加しているわけでもないことが惜しまれる……。ガストンを現代にそのまま引用しても、どうしてもそれだけで描けないものが残って、何かが足りないという違和感が拭えないのだ。