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ソフト/クワイエットのlotusのレビュー・感想・評価

ソフト/クワイエット(2022年製作の映画)
3.5
かなり後味の悪い映画。
メインの主人公エミリーは保育園に勤める白人女性。人種差別主義者で、「多様性」の社会で白人女性である自分は割を食っている、と感じている。

なので、同じ「悩み」を持つ白人女性を集めて「アーリア人団結をめざす娘たち」の会を開く。
ホームメイドの菓子が持ち込まれるが、パイは鉤十字のマーク入り。この集会は地域の教会内にある部屋で開かれているのだが、まぁ、まともじゃないですね。

大っぴらには言えないような話を共有し、後ろ暗い思いが表に引き摺り出され、「娘たち」は盛り上がる。
ヒスパニック系の人が昇進するのが早かった、とか、店に来るマイノリティが騒いでうるさいとか、要するに、白人以外の人種のせいで、自分たちの居場所がなくなっている、という主張だ。
しかし、ここに参加している人たちは白人だから居場所がなくなっているのだろうか?

KKK(クー•クラックス•クラン)の一員だと主張するジェシカ、ブラック•ライブス•マターを批判するアリス。ここには差別主義者の典型的サンプルが様々揃っている。

会の内容に気づいた牧師が、通報しないからすぐに出ていってくれ、とエミリーに告げる。
集会場所を失ったエミリーは、何事もなかったかのように教会を出て、「追い出された」という事実などなかったかのように振る舞う。
駐車場で、冗談なのよ、という具合に半笑いしながらハイル•ヒットラーのポーズをする。(冗談めかしているけど、心底、ナチズムの価値観に心酔していると思われる。結構、げっ、というような発言が次々飛び出す)

10代の悪ガキではなく、30くらいの大人がこんなことをしていることに、正直、引く。
しかも、エミリーは保育園に勤めている「先生」なのだ。

映画冒頭では、園の黒人清掃員が気に食わず、かといって直接何か言うことはせず、園児を利用していちゃもんをつけようとする。それはちょうど、彼女の妊娠検査薬に「妊娠していない」というマークが出て絶望した後のことだ。

自分のままならない人生を、人を選んで八つ当たりしている。でも、自分1人ではやらない。

彼女たちは飲み直すため、キムの店でお酒を調達することにする。
そこでアジア人の姉妹に出くわす。彼女たちは働き詰めで疲れており、1日の終わりに買い物をしようとしたところ、売ってもらえない。あんたに売るものはないよ、と。
言い合いがヒートアップし、姉妹の1人がエミリーの兄をレイピスト、と罵る。(原因ははっきりしていないが、兄は刑務所で服役中だ)

言い争いは一層ヒートアップし、ライフルまで出てきて(アメリカ!)、結局、姉妹は店で一番高い酒を買わされて追い出される。

それでもエミリーたちの気は収まらず、姉妹たちの家を荒らしに行こう、と言う。自分と同じようなことを考えている仲間に囲まれて、すっかり高揚している。(なにせ、1人では何もできない人だ。)

ここから先が、まぁ恐ろしい。
何が行われるかは映画を見ていただければ、と思うが、アジア人姉妹に降りかかる暴力の酷さは苛烈で目を背けたくなるが、見ていてがっくりきてしまうのが、エミリー達はいい大人だというのに、まるで自分の行動への責任が取れていないし、そもそも自分達が何をやっているのかもわかっていない。自分たちを客観的に見れていないのだ。

エミリーは概ね美人と言えるのかもしれないが、ムショ上がりのレスリーに、いつかブランドを立ち上げたらモデルになってよ、きれいだからさ、と言われて喜んでいるシーンなど、こちらの胸が痛んでしまう。(レスリーに頭いいんだね、と言われる時も、ちょっと喜んでいる)そんな言葉に縋りつかないといけないくらい、エミリーは自尊心が捻れている。

夫も概ねハンサムかもしれないが、人の家を荒らして、見つかることなく逃げるのに必要な所要時間が分かるような人間だ。

そして、美男美女だから子供もきっときれいな子が生まれるわね、と言われた時も、少しうれしそうな顔をするが、なかなか授からない。美しいアーリア人の娘は美しい子供を産むべきなのに!
と、エミリーはこういった様々な思い込みに囚われている。家を荒らすことに反対する夫を、妻を喜ばせることができないなんて「男らしくない!」とも非難する。(住居侵入するのが男らしいのか?)

美しく、先生ができるくらい頭のいい自分は、もっといい人生を送っているべきなのに!と、言語化すればそういうことなのだが、エミリーは謙虚なふりをして見せているので、自分のそういった思いにどこまで自覚的なのかあやしい。

自分から家を荒そう!と言ったのに、最後は自分で始末をつけられず、ムショ上がりのレスリーに任せきりにして、現場はますます陰惨なものになっていく。

自分の人生がうまくいっていない原因を有色人種に押し付け、自分の人生と向き合うことのできない彼女たちは、ますます混乱、混沌を深めていく。
アジア人姉妹は容赦なく痛めつけるのに、犬のことは気にかけるのは、犬は人間の罪を糾弾せず、従順な生物だからだろうか。

ラストシーンは暗闇に浮かぶ希望と言えるのか微妙なところだ。どこまでも暗く、夜の明ける気配はしない。
しかし、エミリーたちが自分の人生と向き合わず、隠そうとしていたものが浮かび上がった点、つまり、誰しも自分のやったことからは逃れられない、という点で、エミリーたちが安息の場を得ることは決してないのだ。
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