lotus

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのlotusのレビュー・感想・評価

4.2
約3時間半と長尺だが、それを感じさせない作品だった。さすが、スコセッシ。

ストーリーは史実を元にした小説原作で、アメリカ原住民のオセージ族が持つ土地に石油が出たことから、不幸の歯車が回り始める。

主人公はディカプリオ演じるアーネスト。ルックスがちょっとばかりいいけれど、おつむの方は今ひとつ、という役柄だ。なので、子悪党にはなれても、大悪党にはなれない。

大悪党はデ•ニーロ演じる叔父のウィリアムだ。

石油の所有権を手中に収めるべく、様々に手を回すが、表の顔はコミュニティにおける、面倒見のよい父的存在だ。

実際に街ではみんなの優しいおじさん、という感じで、相談に乗ったり面倒見もいい。いつでも私に相談しなさい、なんて言う。

オセージ族の言葉を話せるし、慣習にも詳しい。
しかしそれは相手の文化への敬意からではなく、支配しオセージ族の富を手中に収めるためでしかない。植民地主義の権化のような人物だ。

アーネストはそんな叔父の差金でオセージ族のモリーに言い寄る。

モリーには自分の資産があり、聡明な女性だけれど、見てくれがよくおつむの弱いアーネストを可愛いと思ってしまう。可愛いと思ってしまうと恋の始まりなので仕方ないですね。

オセージの女たちは白人男たちについてオセージの言葉で値踏みしてクスクス笑う。

彼女たちは莫大な富を持ちながらアメリカ政府から一方的に資産管理能力がないとされ、白人を後見にして財産管理してもらわないといけない。

彼女たちは白人たちが何を狙っているかわかっている。

けれどもモリーはアーネストを家に招き、最終的には結婚することになる。

子供も産まれ、幸せに包まれるかと思いきや、不吉な影が覆い始め、実際にモリーを幾つもの不幸が襲う。

そこからの恐ろしい展開を見せる手法はスコセッシの独壇場という感じだ。

映画の文法や技術を難なく使いこなし、物語を次々に展開させていく。鮮やかな手腕に、さすがスコセッシ!と言いたくなる。

たとえば昼のシーンがシームレスに事件が起こった夜のシーンに移り変わるところなど、実に見事だ。
あるいは、これからベッドで眠りにつこうとするリリーとアーネストを撮っていたのに不吉に画角が広がり、窓が映り、事件も映り込む。
映画を作りたい人必見のエディティングだ。

様々な事件が襲いかかる中、モリーは弱った体を圧してワシントンD.C.まで出向き、大統領に真相の解明を訴える。
とても勇気ある女性だ。

労が報われ、正式に事件が捜査され、裁判となる。
裁判の行方を見守るモリー。証言台に立って発言する夫に最初はかすかな希望を見出そうとするが、直に失望する。

このシーンのリリー•グラッドストーンの演技が実に素晴らしい。ごくわずかな表情の変化で、希望が失望に切り替わる瞬間を描き出している。
今後、他の作品でも見たいと思える素晴らしい役者だ。まだこんな演技をする役者さんがいたのかとハッとさせられるほどだった。

そして当然、デ•ニーロも自由自在な演技だ。優しいおじさんの正体がバレても平然としいやらしく笑う様子など、誠におぞましい。
白人の傲慢さ、吐き気を催す植民地主義など余すことなく表現していた。

ディカプリオはちょっと損な役回りだ。(役者ではなく総指揮としては、この忘れられていた史実に再度光を当てるという重要な役割を担っている)

大悪党というわけでも、勇気あるヒーローというわけでもないので、よくいる凡庸な男が悩みまどい、責任や決断から逃げ回り、というのを丁寧に演じても、そこに現れるのはしょうもない男でしかない。

しかし、そのしょうもない男がこの一連の事件の片棒を担いでいたということは歴史的学びとして覚えておいたほうがいいだろう。
lotus

lotus