海

怪物の海のレビュー・感想・評価

怪物(2023年製作の映画)
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 この世に、たったひとりしかいないあなたの、ほんとうのしあわせには、この世のすべてをあわせても足りないくらいのおおきな意味が、あるのかもしれない。そう本気で思うほど育ったこの心に、わたしの名札をつければ、あなたにも見えるようになるだろうか。手をつなげばどこまでも走っていけるような気がするのは、手をつないだってあなたに届いてはいないとわかってるから。強い風を全身に受けても痛くないのは、同じ風にあなたが目をとじていることをわかってるから。あなたが笑えないならどんな楽しいことも無意味だ。あなたが走れないなら舗装された美しい道も無意味だ。今とちがうところにいこう今のままの姿をして。フェンスにゆびをかけて眺めたあの景色の、トンネルのさきの、暗いやみのずっと向こうには、何があって、何がなくて、そこでわたしたちはたがいを何と呼び合えるのか知りたい、行ってみたい見てみたい会いたい、って走っていくかれらの背中をおせるくらいはやい風となって、わたしもいかなきゃ、と思った。
 わたしたちの属する社会がもし、わたしたちの中の誰かのために変化を求めているのだとしたら、わたしはそれが何よりも子どもたちのためであってほしくて、いちばんよわく、いちばん消えてしまいそうないのちのためであってほしくて、そのためにすべてが、滞ることなく変わりつづけていてほしい。あなたとあなたの世界を守りますという約束を、いつでもできるような世界に、子どもたちにはいてほしい。
 これは、今だから言えることだけど、わたしがまだ中学生のとき、ドラマを見ている母が「同性愛は無理」と言っているのを聞いたことがあった。わたしが「わたしの信じてる愛には、性別は関わってこないよ」と言うと、母は「やめて、あなたには普通に結婚して普通に幸せになってほしい」と言った。母のそういった考えや発言に、いろんな理由があったことはちゃんと分かっていて、分かろうともしてきたけど、今もときどき、そのときのことを思い出す。湊や依里のまわりの人々が、悪意の有無関係なくかれらを傷つけていたように、是枝監督がカンヌ国際映画祭にて言い放った言葉も、当事者のだれかを傷つけてしまう言葉であったことは、確かだったとおもう。
(クィアネスがネタバレ扱いされたことについては、序盤で湊がレディバードのごとく走行中の車から転げ出るシーンで既に、湊がクィアである或いはそのことについて気づく過程にあり葛藤しているのではないかという考えがすぐに思い浮んだし、湊の行動の真意がどうであれ、あのシーンはそういうことを明確に示すためのシーンだったと思う。また、“普通”や“男らしさ”、“お母さんに怒られない?”といった数々の台詞からも、湊や依里がそういったごく当たり前に語られる世界から少しずつ逸れている/外れようとしている存在であることは容易に想像できた。それはわたし自身がクィアだから、というのとはたぶんほとんど関係なくて、そういったことに違和感を覚えたことがあったり、普段から頻繁に考えていたり、慎重に言葉を選別している人たちにとっても、同様だったはずだから、何を思ってこの部分を“ネタバレ”として隠したかったのかが、そもそもよくわからなかった。たとえば『シックス・センス』にあるような、秘密ありきで成り立っている感動というものは、本作にはなかったように個人的には感じる。それはまったく悪い意味ではなく、皮肉でもなく。)
クィアを支援するために活動したり発言しているはずの方々が、抗議の中でステレオタイプを植え付けるような言い方を用いたり、物語で描かれる悲劇に対して当事者の声を埋めてしまうほどの“もう要らない”を主張したり、クィアやLGBTQ+という言葉の表現は本当に広い範囲を指すのに一緒くたにして話が進んでいる場面もたくさん見てきたし、そして自分も絶対にそういった“理解の行き届いてない発言”を、“理解できている”と思い込んで、繰り返してきた。何人を傷つけてきたかわからない。世界も今その段階にいて、それは間違いなく、長く続くと思う。是枝監督が「『怪物』はLGBTQに特化した作品ではない」と言ったことが知らされた日、ただ、何故、と思ったし、今もそう思っているし、でもこの作品を観終えて、わたしはわたしというひとりの観客として、込められた祈りを受け取るくらいはできるはずだとも思った。是枝監督が追いかける子どもたちの姿が好きだ。家族の姿が好きだ。ずっと好きだったし、今も大好きだ。この物語は誰かひとりの特別なひとのためにあるのかもしれないし、湊や依里じゃなく彼らの周囲の人のためにこそ存在しているのかもしれない、製作陣の方々が言ったように。それが本当かもしれない。だからこそわたしは言いたい、言ってはだめだとしても言ってしまいたい、この映画は間違いなくクィアであることによって苦しんだことのあるあなたのほうを向いていて、他のだれよりも先に、あなたのためにありますと。
 わたしの生活の中で、頻繁に会うことのできる幼い子どもがひとりだけいて、先週、その子がわたしにおもちゃを渡してくれたときに、そのちいさなちいさな両の手で、わたしの手をぎゅっとしてくれた。「ありがとう」って言いながら、泣きそうになった。唇を噛んで我慢した。街で小さな子をみかけるたびに、いつかこの子が大人になる頃には、世界は今よりましになってるかな、なっていてほしいな、と考える。でも“いつか”じゃいつだって遅いんだとおもう。今変わっていかないと遅い。朽ちた電車の天窓の奥をわたしたちは今さがしにいかないと遅い。秘密にしたくないことを秘密にしなくてよくなること、秘密のままにしていたいことを秘密のままにしておけること。わたしがあなたがここにいるこの姿のままで、よかった、って言える日を待ってる、さがしてる、見つかるまでずっと。
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