海

夢の涯てまでも  ディレクターズカット版の海のレビュー・感想・評価

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書くことも話すことも本当はしたくないのかもしれないとおもうことが、ときどきある。何も書かず、何も話さず、だまって生を終える。それができていたら、少なくとも今よりはずっと幸せで、今の半分くらいは何も考えず、いられたのかもしれない。わたしが続ける理由は、それが正しいと信じてるからで、信じてる理由は、誰かを救えるかもとか自分のためとか毎日毎秒流動するようなつかみどころのないものだけれど、もしもわたしが金輪際書くのをやめると言ったら、じゃああなたの手が動く最後の日に会いましょう、鉛筆と紙を持っていくからと約束をしてくれるひとがいることも知っている。今はどこにもなくていつかどこかにあるかもしれないその約束を、わたしは今、選んで受け取っているのだとおもう。本作で“夢”とされるものの中に、言葉がなく、色やかたちや動き(視覚的な情報)だけしかなかったのが、とても印象的だった。わたしは夢で見た映像よりも、夢で言われた言葉や、歌った歌や、波の音や鳥の声を、おぼえていることのほうがずっと多い。黒い闇の中で、音と空気の感触だけをたよりに歩いたこともあるし、木の床に横たわり指のさきを感じながらともに雨がやむのを待っているその相手のかおすら見えなかったこともある(自分がそばにいたいとおもっている相手であることだけはわかった)。だから、画面の中に自分の夢を再現できても、わたしはきっとそれを、腐朽したあとの夢だと感じるし、ずっとそれ以外にはならないだろう。物語が人を救うこと以上に、物語が人を救うと信じている誰かがいることに、わたしはすくわれている。ことばがどんなに無力でも、それ以外にわたしが信じられるものは、あつかえるものは、どこにもないのかもしれない。いつも考えることがある。救ってくれるひとと、救ってあげたいひと、わたしはどちらの手をとるべきで、どちらに身をまかせるべきなんだろう。そういう選択を自分に課してしまうことから逃げたいから、わたしはこのままひとりでいたら駄目なのかって、最後はいつも考えている。おなじ曲をきいていた夜や、頬と首の裏に感じていた3月の強風、すべて閉じたあと、ぜんぶ今日みたいな日の一瞬につながって高波がくる。いずれくる凪を待って目を閉じる。このひとにとって、世界は“見る”ものであったということ、ただそれだけのことを、まぶたに置かれた指さきが雄弁に語っているように感じた。
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