矢吹

すべての夜を思いだすの矢吹のレビュー・感想・評価

すべての夜を思いだす(2022年製作の映画)
4.0
世間は狭いって言うけどよお、
思いがけない場所で繋がるんだったら、
僕たちの世間は案外、こんなとこまで広がってるんですねってさ、
世間は広いって言うんじゃねえのかよお。
って順番みたいに思った。
仕方ないじゃねえかよ。
世界と世間は別物でしょう?
しかし、この作品のおかげで、意外と、というか、案外、
ぶっ滾った。
生き物としてのパワーをもらえた。
こういうと、当然な気もするけど、
なんか、ぶっ滾ったんですよ。
それが、なんでかっていうとー、
もっと視野を広くして生きないとって思ったからかも知れない。
したり顔して悟り澄ますのやめろジジイども。のやつだ、続々とジジイになりつつある、
ほんでね、そのつもりで街歩いてたらさっき高円寺の改札を出たところのニューデイズの前に、ジェイクリーさんがいましたわ。
早速の僥倖。声かけ等の確認はしてないけどね。あのサイズにあの髪型はジェイクリーしかありえない。さておき。

今日が誕生日の人、恋人の命日の人、デートとかじゃない日の人のナチュラル群像劇。
この流れの中のバトンパスというか、せっかくだから、街ゆくこの人について行ってみるタイプの感覚。のカメラ。
もしくは、ちょっと、立ち止まってみる。のカメラ。
このイタズラ心にどこまで自分の社会の速度を任せられるかといいますか、流石に勤務中なんでって、言い訳が通用するとするのならば、人間なんて一生勤務中じゃないですか。それは嘘ですけど、あながち真実。何に奉仕するかという点において、何をもしないという仕事に従事するべき時もある。
猫と、団地のアナウンスとダンスと、花火が
それぞれの画面の中でうつっていく。
その上でいうと、我々は、ある地域とある飼い主たちを縦横無尽に駆け抜ける猫と化します。

街ゆく不思議な人とか場面とかってあるじゃないですか、そういう切り取った一瞬に対する想像力、なぜか木の上に登っているお姉様、なぜか少し遠くから自分のダンスとジャムってくるお姉様とか。
カメラを使って、ゴーストトロピックのような鋭いドライブを決める奴は、日本には、
いた。いましたね。
たまたまバスを間違えて降りたところから始まる冒険なんて、まさに、完全ニシティ。
道ゆく人とか、何気ない映り込みが、とっても意味を持ち出して、カメラの周りの世界が、地続きになって、地に足のついた物語として成立しまくる。

3人の群像の中でも、特に印象的なお姉様が、かなり話と興味を引っ張ってくれた。
今日、なんか新しいことができる気がしてる人。
なかなか、そういう日だからってのがあったとしても、そもそも割と変わった人だったとは思うけど、なんというか余計な一言というか、会話のテンポが、自分でめっちゃ受け取って全身巡らせてから返してくるスタイルというか、
自分なりの返信なので、割と目の前の相手は置いていきっぷり。
おすすめのお土産の問答とか、
なら私、やめてもよかったかな。とか、
私たちこれっきりってことですか。っていう、互いの一方通行と、孤独のような人なんだけど、それでもそれゆえに、世界と人間の関係性がより深く捉えられる。

認知症とラベンダーの香り。
使われているガスメーター。
一つ確かなことは、完全に閉塞された、世界からまるっきり隔絶された場所なんて、存在しえない。どうしたって。
例えばその扉を持ってして、より強固に繋がっている。
そういう、次元の段階の話。
映画だって、スクリーンこそがその扉となる。

あとはなんとなく、人間関係には、並列繋ぎと直列繋ぎがあったとしてさ、
火を絶やすなって交互に付け合う花火か、2人でしゃがんで眺める花火か。
その2人を、さらに外から眺める、写真好きな男の子。
そんな写真ばっかり撮る大くんの存在を、4500年後の誰かに伝えられるかどうかは、
実は本当にどうでもいいことなのだよ。
今誰と何を共有できるかに比べたら。
もちろん、過去とも未来とも繋がっているという時間感覚から、あえて目を覚さないことによって、少しだけ現在が楽になる時もあるっていう、インターネットのスピードに騙されないようにできる時もありますし。
都合よくタイムスリップでもなんでもしてやりましょう。
昨日の晩御飯も覚えてなくて、むちゃ結構。
なんなら、あの時のあの猫を飼っているあなたもどこかにいるはずなんですよ。

有効期限の過ぎた引換券。
アナログからデジタルに変える作業。
フォーマットとソフトの問題でありながら、
その境界線が今や限りなく曖昧へと融和していくのが技術の進化の流れの問題になるとするのならば。僕は何を持っているだろう。
思い出だけが、人生ではない。
多分、歴史に残らないコミュニケーション。
4500年前の考古学。
埴輪を造られた意味はわかんないらしいよ。
誰が作ったかも知らないわけだから。
土鈴の音の再現と、踊るダンスは、完璧な接続の一つであるわけですよ。
コミュニケーションの側面として特化したダンスはほんと私、大好きなんだよな。
もっと会話中に踊ってしまいたいと、思ったから、踊るわ、おれ。そういうダンスを。

ニュータウン、の文化。
同じ景色ばかりでしょう。
昔のこの団地のコミュニティは、よかったよ。
全部思い出したら、嫌なことの数に辟易するかな。
せっかく忘れた夜まみれなのに。
よくいう、9回嫌なことがあって、1回いいことがあるって噂のペースなので、率先して嫌なことばっかりを集めてみたのかも知れない。
このままいくと、今際の際にいいことが80000回ぐらい連続で起こることになる。
勿体無いな。

昔の経験を活かしたいんですけど、とかってお願いする時間の、ハローワークって気まずいよねあれ、そりゃさ、
理想なんてわかってるから言ってんだから。

痛み入ります。
じゃあ明日、13時に南口ね。
サントラ、マジでいいっす、これ。
矢吹

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