♪ 忘れ去られてゆけばいい 通り雨のように
何気ないある晴れた日 風が通り過ぎる
傲慢で不遜。
神をも畏れぬ発言。
それが岸辺露伴。
「確固たるエビデンスもないのにマスクを着けるなんて、まるで飼い慣らされたブタのようじゃあないか」と言っても不思議ではないレベルで周りの目を恐れません。
そんな彼のドラマが大うけ。
ようやく“日本特有の同調圧力”を嫌うムーヴメントが生まれたのか?…なんて鼻息荒くなる今日この頃ですが、本作に限って言えば、まるで別人。やたらと“しっとり”とした描写が多いのです。
というか、本当に別人が演じていました。
高橋一生さんは40代なのでデビュー当時の岸辺露伴を演じるには不適切…と製作陣が判断したのか、20代の俳優さんを充てましたが…うーん。これはミスマッチ。ひたすらに萎えました。
でも、そんなことは些細なこと。
何しろ、本作は岸辺露伴のための物語じゃあないんですからね。
そう。本作の主人公はルーヴル美術館。
原作は“そのため”に描かれたのです。
だから、それを主軸にしてこそ、リアリティが生まれるわけで“しっとり”とした岸辺露伴でも問題はない…のですが。
きっとロケをするだけで精一杯だったんでしょう。本作にルーヴル美術館のリアリティが刻み込まれていないのです。実際に行ったことはないんですけど、あんな閑散とした場所なんですかね?エキストラを雇う…そんな選択はなかったのでしょうか。
また、原作にない部分も蛇足の極み。
オークションだの、真っ黒な絵だの、真作と贋作だの、顔料を使ってマンガを描くだの、そこにリアリティはあるのか?観客は見分けがつかないと思っているのか?と岸辺露伴先生なら憤慨する安っぽさ。クモのリアリティを求めるためにクモを食べなさいよ。
まあ、そんなわけで。
映画じゃなくてドラマならば良かったのに…と思ってしまった2時間。良いところ(お婆ちゃんの造形とか)もあるんですが、蛇足が多すぎて間延びした印象が先立ちました。
せめて原作と同じカットを再現する…くらいの気概があればねえ。つまり、木村文乃さんの着替えシーン…もごもご。