取り扱う題材と作品コンセプトのミスマッチ。
もはや、毎年の楽しみともなっている「岸辺露伴」シリーズの初の映画化である今作。
この作品の持つコンセプトとは、ずばり「SF」だ。
ただし「サイエンスフィクション」の方じゃあなく「藤子F不二雄」先生よろしく「少し不思議」の方の、である。
そう、この作品は通常では考えられない超常的な事象や現象に対して、同じく超常的な「ギフト(スタンド能力)」を用いて対峙していく様を、おどろおどろしく描いた作品なのである。
だから、作品の空気感としては奇妙で不気味ではあるが恐怖とはまた違う為、このシリーズを「ホラー」として視聴している人はあまり多くない筈なのだ。
しかし、今回取り沙汰されている「この世で最も黒い絵」の正体は、ホラー映画によくある真相である事から、間違いなくホラーを題材としたものとなっていた。
ここで生じてしまうのが、見出しにも書いたミスマッチ感であり、作品の性質上どう転んでもホラー作品にはならないものに対して、今作はそれをぶつけてしまったのだ。
とはいえ、通常のTV特番の枠であればこういう趣きのエピソードが1つや2つあってもなんら違和感は感じなかったのだろうが、今作はこれを劇場用として製作してしまったが故にそれが浮き彫りになってしまっていた。
要するに、ある理由から"中途半端"感と"これじゃあないんだよなぁ"感を強く感じる作品になってしまっていたのだ。
まず、何故これが劇場用でなくてはならなかったのかといえば、間違いなく"海外ロケ"をする為の予算を確保する為であろう。
しかし、邦画が海外ロケをすると、撮影許可を貰うための条件なのかなんなのか、ただの観光PR動画になってしまう事がよくある。
今作も、例に漏れずその感覚に陥ってしまうような映像となっていたのだが、それにしてはパリでのシーンはさほど多くない。
むしろ無くてもいいくらいパリもルーヴルもあまり活きていないのに、それでもPR動画っぽいからなんだか中途半端だ。
そして、今作では漫画家になりたての露伴の青年期が過去として語られるのだが、正直観たいのは「高橋一生」の露伴であり、担当編集である「泉京香」との掛け合いなのだ。
だから、中盤あたりはずっとこれじゃあないんだよなぁ感が付き纏う。
しかも、劇場用のプロットにしているせいで、今回はこのこれじゃあない中盤が妙に冗長に描かれ、かなり中弛みを感じる幕間になってしまっていた。
そこに来て、ホラーなのに怖さで勝負出来ない中途半端感が追い打ちをかけてくるもんだから、全体的には映画で観る程のものではないと感じる出来栄えに落ち着いてしまった感覚という訳だ。
これが、TVの尺で回想もサクッとやってくれてれば、ホラーがうんぬんなんて感想は抱かなかっただろうし、パリ撮影もTVなのにここまでやるかと逆に箔が付いた事だろう。
だから、映画化にしたのはぶっちゃけ失敗だ。
やるなら、これこそ「岸辺露伴は動かない」だよなと思わせるエピソードでなければいけなかったと思う。
あと、僕は高橋一生が演じる露伴の、漫画を描く前の準備運動のシーンを見ると、脳味噌に鳥肌が立つ様な高揚感を得られる変態なので、今作でそのシーンまでもが中途半端に終わってしまったのは、大きく減点対象であったと言わざるを得ない。