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妖怪の孫のminadukiのレビュー・感想・評価

妖怪の孫(2023年製作の映画)
2.0
新宿ピカデリー、平日の夕方
予想に反して満員でした
上映館が少ないせいもあるでしょうが意外でした
客層の年齢の高さにも驚きました
九割以上が団塊、全共闘世代です

私には全くもの足りませんでした
テーマに対しての掘り下げが浅いと感じました

例えば安倍氏は6回の国政選挙を全て圧勝、その強さの秘密は?
という興味深いハシラを立てて始まります
好奇心を唆られワクワクとスクリーンを見つめました
しかしそこで語られた内容は、大手広告代理店を使った巧みなマーケティングと、インターネットでの若年層の取り込み、震災時の民主党政権の無力、失政への失望、そこへの反発として湧き起こった敵を作り闘争を煽る分かりやすい政治スタイルへの同調として語られます。
えっそれだけ?
安倍氏を支持した人々のメンタリティにもっと踏み込んでくれよと思いました
これじゃ彼らがメディア戦略と煽動に簡単にのっけられた人々だったという結論にしか見えない
そこに上から見下ろすような差別の匂いを感じました
分断の危うさを描くべく作られたものがいつのまにか自ら分断を生み出している矛盾にこの映画は気がついていません

この映画に求められていることは
なぜ多くの人々が安倍政治を支持したのか、彼の主張がどう時代を捉えたのか、支持者の心に何が刺さったのか、そしてそれらが危ういことだとすればどう危ういのか、そこに危険があるならそれは何をもって回避できるのか

この映画はそれらを併置しながら語るべきでした
これがない中で、この映画の終盤の戦争の危機感を語る映像は残念ながら稚拙な印象操作に見えてしまいました
それはこの映画の致命傷だと思いました

あの部分では、本当にこうなってはいけない、これは止めなければいけないと作家の主張が私の心に刺さらなければならないのです
ドキュメンタリーといえどもエンドは主観的であるべきです、それはいいのです、ただそこに至る過程ができていないのです
過程で、安倍晋三へのアンチとシンパの主張を拮抗させてぶつけ合いスリリングに構成できていれば、ラストの主観は受け入れられたはずです

僕のそんな思いをよそに、終映後に大きな拍手がおこりました。
意外さと同時に異様さも感じました

ああ、多分この瞬間が分断ということなのか
互いが互いを知ろうとはしないで自分の思いを代弁する表現に喝采する

この拍手喝采する人たちがもうすぐいなくなった後、日本はどんなふうに変わっていくのだろうと、不安でもなく期待でもなく漠然と考えながら夜の新宿を歩きました
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