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バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)のminadukiのレビュー・感想・評価

4.1
坂本龍一の最後の著作『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』にこの監督・イニャリトゥとの一節があり興味を唆られてこの映画を見始めた
始まってすぐにこれはただならぬ映画が始まったと感じ、吸い寄せられるように観た

セリフを絡み合わせて主人公の内面を抉りだす。コンプレックス、嫉妬、鬱と躁状態、葛藤、怒り、憎悪、不信、不安、恐れ、諦観、懺悔など、主人公の心が目まぐるしく切り替わる様を見せられて導入から一気に引き込まれた

ブロードウェイの劇場をメインに展開する話だからと言うだけではなく、この映画の中の出来事がすぐ目の前で繰り広げられているようなナマっぽさ、ライブ感。
派手なシーンがあるわけではないのに、カットのキレとモンタージュの重奏にゾクゾクする
これは演出の力なのかカメラマンの技量なのか
こんな映画は久しぶりだ

音楽もまた奇抜で洒落ている
旋律を心情音として使う場合と、打楽器のリズムを効果音のように使い分ける対比のおもしろさ

ツーショットの時のカメラの動きアングル、ショットの的確さ、単独ショットのサイズ、フルショットもバストもアップも気持ちよく美しい
いつの間にかカメラの存在を忘れさせてしまうほどの気持ちよさ

夢中にドラマを追いかけた119分、時間を忘れて見入ってしまったのだが、唯一ラストシーンは、あれしかやり方がなかったのかなと引っかかった。

物語もジャンルもまるで違うのだけど、『バードマン』はキューブリックの『シャイニング』と同じ構造だと思った
話が大きなハコの中ひとつで進行する(シャイニングでは冬季休業中の大ホテル、バードマンはブロードウェイの大劇場)
この館に主人公は缶詰状態になり、限定的な人物としか接触できない。閉ざされた環境でストレスを募らせ抑圧を抱えきれないほど膨らまし、やがて超現実的な光景を見るようになる。それは彼だけに見える幻覚なのか、現実に起きている出来事なのかという興味で観客は縛られエンドロールまで引っ張られるのだけれど、さて、シャイニングはそのエンドではっきりと疑問の余地ない形で答えを提示する。
ジャックが元からあった古い写真の中の一人に入ってしまっていた。この描写によりキューブリックは物語に落とし前をつけた。ジャックが見ていたもの、あなた達が見たものは現実の出来事でしたと言いきる。
それに対して『バードマン』は、冒頭の空中浮遊シーンが客観なのか主観なのか。答えをラストに持ってきてはいるのだが。
高層階の寝室、主人公のベットはもぬけのから、開いた窓、窓辺から下を見下ろす娘、娘の顔のアップ、不安げな表情が笑顔にかわる。
これは果たしてシャイニングのラストの明快で毅然としたそれ故に観客に恐怖感とドラマの重奏性を際立って与え残した強さに太刀打ちできるか。私はずいぶん緩いと思った。もっと直接的なカタルシスが欲しかった。

実はこの感覚、物語のラストを観客に投げてしまう表現への物足りなさ、頼りなさは『ドライブマイカー』や『怪物』でも感じた。

『バードマン』は作家の才能とセンスがキラキラした映画だっただけに、尚更ラストシーンの作りはもう一歩工夫できなかったのかなと、そのことを残念に思った
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