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君たちはどう生きるかのminadukiのネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

公開後、すぐに劇場に足を運んだ。そして以下を書き込んだが、あげずにそのままにした。
それは、見終わった直後に感じたことが正しいのか、少し間をおいてから判断しようと思ったからだ。
それくらいこの映画は心の中に落とし込むのが難しかった

(以下、直後の感想)
原作(漫画版)は2017年初版で買った 新宿の紀伊國屋本店の店前ワゴンで平積みされていて、時代性を無視したような垢抜けない表紙の漫画が売れてるのかしらと、版元がマガジンハウスであることで余計に不思議に思い買って帰った
一読後、これが映画になるとはとても思えなかった。

映画は人物の行動を撮ることで感情を炙り出すメディアである
原作は主人公の哲学的気づきや内的思考をインナーボイスで見せていく

これをジブリが宮﨑駿の10年ぶりの復帰作として映画化すると聞いた時、どう料理するのだろうと訝ったが、私には想像もつかないような新しいものが生まれたかもしれないと半ば期待して劇場に足を運んだ

そのような私の事前の興味とは関係なく映画は作られていた
タイトルのみいただきの体裁だった
その事に対して私は批判するつもりはない
原作と映画は別物だ
宮﨑なのか、プロデューサーの鈴木敏夫なのかは分からないが、『君たちはどう生きるか』という響きが、これはあたる映画になるという直感を刺激したのだろう
結局出来上がった映画には原作・吉野源三郎ではなく、原作・宮﨑駿と表記され宮﨑のオリジナル作品となっていたのだが、この決定はいつの時点でなされたのだろう
企画段階から決まっていたのか、脚本を作る段階で、吉野の原作としてドラマを組むことがどうしても難しいということで、そうしたのか
それとも、もっと後で、映画があらかた出来上がってタイトルを入れる段階で、この物語を吉野源三郎の原作とはできないと判断したのか
気になった

さて前置きはこれくらいにして中身であるが、製作者達が梗概を伏せて公開したようなのでネタバレは極力避けるけれど、骨格は『千と千尋の神隠し』と同じで、主人公が非現実的な未知の世界に飛び込みそこでの様々な出会いを通じて危機を乗り越え、成長して、現実世界に戻ってくるという地獄めぐりの成長譚

今回は主人公が母親を亡くしたばかりの少年で、寂しさの中で折れそうな彼の心が、異世界での体験と出会いを通して開かれていく。
画も音も『千と千尋の神隠し』を上回る豪華絢爛の宮﨑駿イメージの氾濫なのだが、残念ながら私はこの映画を『千と千尋の神隠し』のようには楽しめなかった
その理由ははっきりしていて、主人公の動線が弱いからである
母親が空襲で亡くなって一、二年後だろうか、二、三年後だろうかそう月日が経たない頃に、母親の生家に疎開してきた少年に、父は新しいお母さんだと母の妹を紹介する。少年にとって叔母であり継母である美しい女性は既に父親の子を孕っていた。
少年は疎外感を抱く。
信頼していた父親との間に距離を感じる。
そんな主人公が、森の奥に一人入っていく継母を追って、異世界に入っていく。
なぜ少年は継母を追ったのか。
私には理解できなかった

物語を動かす大きなモチベーションの描き方が粗雑だと感じ、その後の異世界での少年にふりかかる苦難も、それを間一髪かわしてゆく奇跡も、ただガチャガチャと混みいってうるさく、私の心を動かすことはなかった。
物語がうまく転がっていかない掻痒感が最後までとれなかった。

実は少年は森に入る前にある本に出会って涙を流す。それは母が少年に残してくれた吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』だった
少年が母の残像に癒されて涙したのか、本の中に母の導きを読みとり、人生に可能性を見出した涙なのか、私には分からなかった。
その後、継母を追って森に入っていく衝動とは、全くつながらなかった

映画館を出た後、やれやれとため息つきながら呟いた
宮﨑駿の夢につきあわされた
夢だから怖さも爽快感もあるけれど、それが大きな心のうねりにつながらない 一時的な感覚の刺激にしかなっていない
映画を作るには感覚的な刺激の前に、まず理屈と仕掛けを仕込まなければならない。それがなければ、2時間以上観客の心を縛りつけることはできない

とここまで考えて気がついた
「夢だから仕方ないのか 他人の夢を評するなんて野暮の極みだな」
巨匠と呼ばれるような映画監督の最後の望みは、自分が見た夢をそのまま映画化してそれが傑作になってしまうことではないかしら。黒澤明監督の晩年の作品『夢』の元々のタイトルは『こんな夢を見た』だったなと、そんなことを思い出した。
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