minaduki

PERFECT DAYSのminadukiのレビュー・感想・評価

PERFECT DAYS(2023年製作の映画)
4.5
昨年から気になっていた映画、危うく見落とすところでした
近所の映画館では終わっていて、少し離れた映画館に観に行きました

人の一生はルーティンの繰り返し、意味あることはなにも残さず、知りたかったことは何もわからないまま、自分の意思とは関係なく一方的に終わってしまう虚しいもの

いいえ、そうではありません
同じように見えても、日々の暮らしはよく見ると少しずつ違っていて、同じ瞬間は二度と現れません
それは、木々の間から差し込む木漏れ日が刹那刹那で変わるように
二度とない一瞬の連なりの美しいこと、愛おしいこと

「ずっと疑問に思っていました。影と影が重なると、影は濃くなりますか?こんなことさえ、死が間近に迫った今でもまだ分かりません」

「なりますとも、影は重なると濃くなります 
やってみましょう
ほらここに立ってみてください 
なるでしょ濃く」

人生の意味は分からなくても、今、この瞬間に生きていることは、刹那を感じていることは
それだけで滋味深いこと、愛すべきこと

ジム・ジャームッシュは『パターソン』でこの事を言いました
同じ目線からヴィム・ヴェンダースは『パーフェクトデイズ』でその事を重ねて言いました
どちらも大好きだ

今日この映画に出会えてよかった


《追記》映画を見終わった方に

ラストシーンの平山の涙ぐむような表情の意味はなんだと思いましたか

フロントガラスから差し込む朝日が眩しかったから

姪との数日の暮らしで家族で暮らす暖かさを思い出し、それを失った寂しさから

父と諍いうちを出た自分。その父も老いて今は認知症を患っていると妹から聞いて、父を哀れだと思うと同時に、二度と昔には戻れないという時の残酷さに

好意を寄せる女性の元夫が末期癌だと知り、彼女を思いやり、同時に人生の儚さを感じたから

これらはいずれもしっくりきません

平山の生き方、感じ方の根っこは
「今は今、今度は今度」です
それは、今、現在、この刹那に生じている事を認識し、それを連ねていくことが生きる事だという考え方です。
〝今度〟は、今度が今になった時に感じればいいので、未来の為に現在を生きることはしません
同じように過去を後悔して今を生きることもしません


「同じ時間、同じ場所にいても人によって見ている世界は違う」

ヴィム・ヴェンダースの描いたものは、唯識的に世界を捉えている男が現代の東京にいたとしたら、その生き方はどんなもので、それは唯物的に生きる普通の人にはどのように見えるのだろうという興味から生まれたのではないでしょうか。

だとすれば、ラストシーンの平山の表情の意味は必然的に決まります

朝日の透明な光、早朝のしんとした空気。人も車もほとんどいない街を滑るように走る。カセットから好きな音楽が流れ、車窓の光も空気も景色も刻々と移り変わり、やがて世界が自分の中に流れ込み、世界と自分が溶け合う。その瞬間に心が振るえて、自然に流れ落ちた涙
世界と繋がっている自分 世界の美しさを感じている自分 今生きている自分を感じた涙


三島由紀夫が生きていたらこの映画をどう感じただろうと思いました
彼のこの映画への批評を読みたいと叶わぬ事を思いました

《以下引用》

しかも現在の一刹那だけが実有であり、一刹那の実有を保証する最終の根拠が阿頼耶識であるならば、同時に、世界の一切を顕現させている阿頼耶識は、時間の軸と空間の軸の交わる一点に存在するのである。
ここに唯識論独特の同時更互因果の理が生ずる、と本多は辛うじて理解した。

三島由紀夫『暁の寺』より
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