ゆーさく

夜明けのすべてのゆーさくのレビュー・感想・評価

夜明けのすべて(2024年製作の映画)
3.5
たゆたうような観後感。
誠実なセリフに控えめな演出に、とても印象が良い映画だった。
フィルム撮影なんやろか、画面がザラザラしてるのもこの郷愁感溢れる雰囲気作りに一役買ってる。

瀬尾まいこさん原作の映画やと前の「そして、バトンは渡された」ってのを観たんやけどアレが俺はかなり苦手やったので、ちょっと警戒してた。けど、なんのなんの、映画として大変完成度の高い、後味良い映画でした。

なんか劇中に流れる曲が、寝る時に聴くソルフェジオ周波数の曲みたいなやつやったおかげで、終始催眠術みたいにフワーっと観てたんやけど、その見方で間違いない気がする。
居心地の良さが映画全体を包み込んでる。




この映画で描かれている状況は、全然特殊なケースじゃない。
友人がパニック障害だとか、月経前症候群の人が職場にいることとか。全然普通にあること。

特にこういう症状をフィクションの中で描く時って、変に大袈裟に表現されたり、変にドラマチックに捉えられたりするけど、この映画はいたってフラットに誠実に描写されている。

主人公たちは職場の同僚たちともイーブンに付き合ってる。同僚たちは主人公の症状に対して特別過敏に反応したりもしない。それがリアルで、それがいい。
症状が出てシンドなった時にはパッと手伝ってくれる。憐れむでも遠巻きに見るでもなく。


主役二人の関係も終始、同僚以上の何物でもなく、決して踏み込まず、ただ症状が出た時には助け合えるように、お互いの事情を理解し合う関係。とてもイーブン。それが大事。
この二人が恋愛関係で描かれてたら、この話台無しやからね。。。
愛してるから守りたいとか救いたいとか、そういう特別な感情ではないのよ。
職場の同僚っていうフラットな関係でありながら、普通に助け合えるっていうのが肝要。


そう、たとえばこの映画の他の同僚たちみたいな、一見健常に見える人達だって、皆、多かれ少なかれ身体の不調とか、付き合っていかなければならない症状とか、上手くいかない部分とかは抱えてるはず。表立って描かれてはいないけど。
軽度重度の差はあれど、病名が付いてる付いてないの差はあれど、誰でも何かあるもの。

僕もなんか小さい時に病院で「自閉症の傾向がある」って医者に言われたらしく、大人になった今でも「あ、これはそうかもな?」みたいな、生活する上で思い当たる部分もあったりする。

でも、それで自分のことを病気持ちだとか、変だとか思う事とかないし、それで自分を卑下するって事も特に無い。
なんか当たり前にそういう人間も居てるやろって。コミュニティの中にそういう人は普通にいるってのは俺、だから肌感で分かる。あらゆる症状を持ってる人、居て普通。



よく駅のホームとかでさ、トゥレット症候群の人が突然大きい声出したりしながら歩いてるのとか見るやん。

事情分かってない人はそれ見て、「おかしな人…」とか「近付いたら危ないかも…」みたいに思って、遠巻きにしたり、訝しげに見たり、早足で立ち去ったりするけど、それはトゥレットのそういう症状なのであって、声が出てしまうって点以外は別に健常者と一緒やから。
そういうものやと理解してれば別に脅威でも何でも無く、避ける必要もないわけで。
僕らが避けたり、訝しんだりしなければ、トゥレットのその症状は本人にとって、そこまで不安な症状では無くなるはずなんよ。

僕らがお互いにのびのび暮らすためにはそういう“理解”とか“知る”とか大切よね。
この物語って、そういう事を言おうとしてるんじゃないかと。




松村北斗演じる山添が今の職場に生き甲斐見出して、プラネタリウムについて熱く語ってるのを、元上司が涙ぐみながら聞いてるシーン、俺もウルっときた。
あそこ劇中で一番ええシーンかも知れん。


人は夜明けに希望を見出しがちだけど、もし夜がなければ私たちは壮大な外の世界に気付く事はなかったでしょう。
ラストのプラネタリウムのセリフ、粋で素敵やった。

陽の光の下では見えなかった星座たち、宇宙。夜だから見える遥かなる外の世界。

不自由も苦痛も感じずに明るい場所ばかりで生きていたら、きっと他人の苦しみや喜びや異なる価値観も分からないままだっただろう。
ゆーさく

ゆーさく